12月31日

いつもは夜の12時か1時くらいにこのページを更新してるんですが、
今日はやっぱりね、今年最後の日ということで、
なんとか今日中に、いや、今年中に更新しちゃいたいなぁ。
なんて思いつつ、今日も芸のない日記を僕は書くわけです。

いやいや、みなさん。大晦日の今日、いかがお過ごしでしょうか?
僕はお昼から灘波に行ってきましたよ。
なにやら、久しぶりに会うお友達なんかと、
本当の意味で今年最後に遊んでみたり。
お昼ご飯を食べようということで、
こんな大晦日にあいてるお店なんて、
果たしてあるのかしら?という危惧もあるにはあったんですが、
勤勉にもきっちりとあいていたインド料理屋さんへ。


(画像をクリックで拡大です)

いやいや、やりますね。インド人。さすがと言うかなんと言うか、
大晦日にも有無を言わせず議論の余地もなく、
真顔でカレーを僕たちに提供するという、
おそろしいまでの勤勉ぶり。そして、カレーは辛いぞと。
年末だろうが、なんだろうがカレーは辛いもんやぞと。
年末だろうが年始だろうが、盆であろうがクリスマスであろうが、
一体それは、ほかの日となにがちがうのでしょう?
すべての日を実直に、一日たりともおろそかにせず、
僕たちは過ごすべきではないのでしょうか?
インド人がつくった辛いカレーは、
心なしか僕たちにそう言っていた気がします。
特に、あのインドの主食、ナン当たりがそういうこと言うてましたね。
あいつら淡白な顔して、けっこうお腹ふくれますからね。
俺を見くびるなよ。的なオーラを常にだしてますからね。
それにしても、インド人は手でご飯を食べるわけでして、
しかも、左手は不浄とされているため、
右手だけつかってご飯を食べるわけなんですが、
左利きのインド人はどうしているんでしょうかね?
それとも、インド人に左利きはいないんでしょうか?

ゆっくりご飯をいただいたあとは、
本屋さんに行って本を何冊か買ってみたり、
ヴァージン・レコード、ツタヤ、タワー・レコードと、
なにやら立て続けにCD屋さんに行ってみたりして。
いや、僕はまたもやCDを買ってしまったり。
この前、ん?昨日ですか?もしかして。
とりあえず、このまえ観た『ムーラン・ルージュ』のサウンドトラック、
"Moulin Rouge: Collector's Edition" と"TOKYO BOSSA NOVA Primavera"
うん。良いですよ。サウンドトラック盤ムーラン・ルージュ。
ディスク1の"ELEPHANT LOVE MEDLEY" と、
ディスク2の"COME WHAT MAY" なんてね、ちょっと泣きそうになりますよ。
"TOKYO BOSSA NOVA Primavera" はまだ聞いていないんですけれど、
だいぶまえに買った "TOKYO BOSSA NOVA" もけっこう良かったので、
きっとこれも良いはずです。うん。
この "TOKYO BOSSA NOVA" シリーズね、
なにが良いって、ジャケットが素敵なんですよ。
アマゾンには表示されてませんが、こんな感じです。

とか言いつつ、普通に今年最後の日記を、
なにごともなかったかのようにおわらせてみる。
今年1年の総括?いやいや、そんな大それたこと、僕はやりません。
1年の締めくくりとして、今年読んだ本と観た映画の数を、
ちょっと数えてみようかなぁ?なんて思いましたけれど、
あまりにも無益な気がしたので、すぐにやめました。
こうね、滔々と新しい年を迎えようかなぁ。
なんてね、宮本圭は思っておるわけなんですが、
みなさま。どうか来年もよろしくおねがいいたしますね。
では、良いお年をお過ごしください。


12月30日

みなさん。こんばんは。宮本圭です。
今日はね、トップページで告知とかはまったくしませんでしたけれど、
実はこっそり、京橋絵葉書実演販売会をやってきたんですよ。直樹君と。
いや、ね。最近はgovigoviさんと一緒にやったりしてて、
ナベ君にも手伝ってもらったりもしてるんですけれど、
今年の春、つまり僕たちが大学卒業するまでは、
京橋路上販売会を直樹君とやってたんですね。
お互いがまったくちがうものそれぞれつくって、
それを売るという、完全に別々な生産体型にもかかわらず、
どちらがどれだけ売れようとも、売り上げは折半という、
おそろしく原子共産主義的な販売会を、
大学の時に二人で良く行なっていたわけです。
でね、直樹君と3日前に遊んだときに、
「なあ、ケイ。俺、30日の夜に実家帰るんやけど、
帰るまでひまやの。奈良はなんにもすることないの」
「そうなん?それやったら、俺もその日はひまやし遊ぼか?なにしたい?」
「うぅん。今年もおわりやしなぁ。
なあ。お前、なんか今年やりのこしたことないの?」
「ん?やりのこしたこと?うぅん。
風俗?いやいや、これはちがう。完全にちがう。
うぅん。むずかしいなぁ。やりのこしたこと。なんやろなぁ?」
「あ」
「なんやのん?なんかやりのこしたことあったんかいな?」
「京橋。京橋や。京橋行こう」
「マジで言ってんのか?それ、来年にする言うてたやん」
「いや、よう考えたら、京橋に俺たちは行かざるを得ない。
京橋は夢の都や。ユートピアや。トマス・モアや。
これや。俺のやりのこしたことはこれなんや。これなんやあぁあッ」
「うん。わかった。わかったから。京橋行くから。俺も。
お前、行くんは良いけど、ちゃんとなんかつくってこいよ?
ステッカーなり、ポストカードなり」
「よっしゃ。まかしとけ。がっちりつくっていくわ。
もうね、おどろきますよぉお〜。こわいですよぉお〜」
という会話があり、京橋でこっそり販売会を行なってきたわけですが、
もうね、年末でしょ?あと2日で、今年がおわるんですよ?
普段は完全にノーブラでうろうろするようなおばはんも、
「いやぁ、年末は物騒わぁ」
とか言いつつブラジャーを締めなおす、この年末にね、
あんなところでもの売ってたら、マッハで警察官来るのは、
火を見るより明らかなわけでして、
どのくらいの時間できるかもわからないのに、
告知なんかできるはずもなく、ひっそりと販売会を催しておったんですが、
やっぱりね、やりはじめて1時間ほどで警察官が来たわけでして、
早めに引き上げて、ちょっとお買い物をしたりして、
晩ご飯を食べて帰ってきたわけです。
「いや、今日はな、別にええねん。
今日は来年の布石や。今日を踏み台にして、来年売るんや」
と、直樹君は帰りがけに言っておりました。
あなた、大学の時は京橋行くっていうだけで、
あんなにダウナーになってたのに、
今になって、なんでそんなにやる気満々なんですか?
仕事でいやなことでもあったんですか?
うん。でも、来年も売りましょう。


12月29日

お友達からの激烈なおすすめを受け、ここ数日、
安部公房さんの『砂の女』を読んでたんですけれど、
昨日読みおわってみたり。初安部公房。
いや、この『砂の女』あまりにも有名で、
読んでなかったの、正直僕くらいじゃないかしら?
っていう気がしないでもないのですけれど、
うん。とてもおもしろかったです。
なにやら砂に囲われた家に閉じ込められた男のお話です。
これ、脱出不可能な砂の穴から、どうやって逃げ出すか?
っていうところもおもしろいんですけれど、
自分が囲われている状況に対する、男の心理の動きもすごく良い感じです。
「死に至る病は絶望である」
と言ったのはキルケゴールですけれど、
男の絶望はね、人を死に至らしめるような急激なものではなく、
あくまでもゆっくりと心をおかしていくんですね。
これ、男が閉じこめられているのが石に囲まれた地下牢とかだったら、
そういう劇的変化を起こしたかもしれませんが、
いかんせんまわりは砂なので、まったりと絶望が覆っていくんですね。
男の心を。本人にはそれとはわからない、ゆるやかな絶望。
あとね、徹底的な個性の排除がなされていますから、
僕たちの想像の幅がすごく大きくなるんですね。
主人公の男は「男」とでしか描写されないですし、
場所もなにも、固有名詞があんまりでてこないんです。
そのかわりディテールが細かく描写されているので、
いろいろとリアルですし、良いですね。安部公房さん。
今まで、まったく読んでなくてごめんなさい。

「けいれん……同じことの繰り返し……
いつも、別なことを夢みながら、身を投げ入れる相も変らぬ反復……
食うこと、歩くこと、寝ること、
しゃっくりすること、わめくこと、交ること……」

そういえばね、一時期僕は砂にけっこう御執心だったことを思いだしましたよ。
ようするに、砂をあつめてたんですね。世界中の。
友達とか知り合いとか、とにかくだれにでも、
「どっかに行ったら、そこの砂をとってきて。
なにもおみやげとかいらないから。
砂とってきてくれさえすれば、それで良いから」
って頼んでたんですよ。
おかげさまで、世界各地の、サハラ砂漠とかゴビ砂漠、
タクラマカン砂漠とか地中海の砂。
果ては鳥取砂丘の砂まで、いろいろとあつまったんですけれど、
これをどうするかと言いますとね、
これを30倍の顕微鏡でながめるんですね。
砂とひとくちに言ってもその形状はさまざまでして、
場所によってかたちとか色とか大きさがいろいろとちがうんですね。
それらの砂をひとつひとつスケッチして、
それぞれの特徴を書き記したノートというものを、
けっこうせっせとつくっていたように記憶しております。
サハラ砂漠の砂はほかのよりも小さいぞ。とか、
そういう、なんだか淫靡な趣味にふけっていた時期も、
そういえばありました。多分、中学生の時かな?
とりあえず、変態な中学生だったわけです。
でも、30倍のレンズごしに見る、反転した砂の像というのは、
なかなかに美しいものなのですよ。いや、マジで。
なにを勘違いしたのか、
「ほれ、ケイ。アメリカに行ったから、砂とってきてやったぞ」
と言って、ジェイムス・ディーンのお墓の土を、
嬉々としてとってきてくれた人もいましたけれど。
そのころ一番ほしかったものは、甲子園の土。

というわけで、今日は夕方に、
このまえ観た『シカゴ』と同系列の、
ムーラン・ルージュ』という映画を観てみたり。
これ観るの2回目なんですけれど、なかなかにおもしろかったですよ。
とりあえず、ユアン・マクレガーさんもニコール・キッドマンさんも、
超絶に歌うまくて、やっぱり感心してしまったり。
ニコール・キッドマンさん、めちゃめちゃ美人ですしね。
そら、レニー・クラヴィッツともつきあうわっちゅう話ですよ。
サウンドトラック買いますね。やはり。ここは。

今日は晩ご飯にイカとたらこのスパゲティ。
ゆで卵とポテトのサラダと一緒に。
でんぷん質ばっかりですね。なんだか。
あまりに頻出メニューなため、
今日は晩ご飯の写真は撮っておりません。


12月28日

本当は昨日やってしまおうと思ってたけど、
京都に遊びに行っちゃったのでできなかった、
スーペルそうじを今日の夕方より敢行。
掃除といっても、今回の主な目的は、
あふれかえった本をきちんと本棚に入れること、
ならびに本棚を整理することだったわけでして、
とりあえず、本棚から本を全部だしてみることからはじめて、
気づけばね、もう、ひどいありさまですよ。
こんな感じ。


(画像をクリックで拡大です)

これでもね、全部からすれば3分の1くらいの量なわけでして、
これらを全て整理しようと思った日にゃあ、あんた。
壊れるほど愛しても、1/3も伝わらない?
いやいや、3分の1も伝わったら良いほうですっていう感じなわけで、
ひっくり返してわけわからなくなっちゃった本たちのなかから、
もう、多分一生読まないだろうから、捨てるまでには至らなくとも、
デッドストックに送り込んじゃう本をまず選びだし、
残ったやつをジャンル別、国別、作者別に分類して、
本棚に黙々とつめていく作業を延々4時間。
音楽は掃除の定番、アンダーワールドで。
はぁ。つかれましたね。さすがに。
途中、あまりにもルーティーンな作業にあきてきてしまい、
本を持ち上げるときのかけ声、普通は、
「よいしょ」とか「こらしょ」とか「どっこいしょ」だと思いますが、
それをいろいろかえてみて、どのかけ声が一番僕にフィットするのかという、
非常にくだらない試みをひとりしてみたり。
「フリーーザーーッ」
「それはクリリンのことかーーッ」
などと、本を持ち上げる度に言っておりました。アホですね。
どうやら、フリーザーが良さげな感じ。試してみてください。
フリーザーのおかげかなにかは良くわかりませんが、
無事、本棚のお片付けおわりました。

たわむれに今僕は一体どれくらいの本を持っているのだろう?
と、紅白歌合戦の時の日本野鳥の会ばりに、
ざっと数えてみました。
いや、まあ、この場合、どのような結果であろうと、
赤組が勝ったり白組が勝ったりするわけではなく、
強いて言えばどっちも負け。数えた時点で負け戦。
という趣がないでもないんですが、
とりあえず、お掃除しながら数えてみるとですね、
まず今回、既読書籍の墓場、再読未知の本の終着、
地獄のデッドストックに送り込まれる本は、全部で86冊。
で、残った本は273冊。
この273冊のなかに、今回は手をつけなくても良かった、
マンガ本、辞書、図鑑類、図録や画集、写真集やデザインの本といった、
いわゆる、アート関連書籍などは含まれておらず、
それを入れてしまうと、えらいこっちゃになっちゃいそうです。
デッドストックだけで、もう200冊くらいありそうなのに。
あの、聞くところによると、蔵書が1000冊こえたあたりから、
床が抜けちゃう心配が出てくるらしいです。
あぁ。いやです。もう、21世紀ですよ?
床抜けてる場合じゃない。

っていうか、実はね、本棚の整理、
4時間ぶっとおしでやっていたわけではなくて、
あいだにちょっとインターバルが入ってるんですよ。2時間ほど。
その2時間、宮本圭はなにをしておったのかと申しますと、
テレビで、若手漫才師ナンバーワンを決める、賞金1000万円の大レース、
オートバックスM-1グランプリを観てたんですね。
いやぁ、おもしろかったです。
優勝は順当にフットボールアワーでしたね。
うん。っていうか僕のなかでは、2丁拳銃が予選で落ちちゃった時点で、
フットボールアワーに決まりよなぁ。これ。
って、なっちゃいましたけれど。
いや、僕は別に2丁拳銃が特別好きだったり、
格別おもしろいと思ったわけではないですけれど、
あのなかでフットボールアワーを食える可能性があったのは、
おそらく2丁拳銃だけじゃないかなぁ?
って、予選を観た感じで思ったものでね。
あと、りあるきっずが予想以上におもしろかったです。


12月27日

深夜に更新。こんばんは。宮本圭です。
今、これを書きはじめてる時点で、夜中の1時半です。
いや、ね。今日は別に予定もなくて、
予定はないけれど、やることはまあ、こまごまとあったりして、
それをどういう風にこなしていくかなぁ?なんてね、
いつものようにお昼に起きて、いつものようにシャワーを浴びて、
メールをチェックしたり新聞読んだりしたあとで、
サッカーの天皇杯観ながらお昼ご飯食べつつね、
考えてたんですよ。そこまでは普段とかわりなく。
で、ちょうどジュビロ磐田対清水エスパルスの試合がおわったときに、
電話がかかってきたんですね。
お昼なんかには、めったに鳴らない電話がなったわけです。
直樹君でした。彼が言うには、今から京都へ行こうと。
今から絶望の都奈良を出て京都へ出発するから、
1時間半くらいで行けると思うから、
とりあえず、三条河原町らへんに1時間半後に。
きゃー。マジですか?今から京都?
買い物に行こうって、あんた。服がほしいって?
完全に僕に抑止力としての効果を期待してるじゃないですか。
直樹君はね、ほっぽらかしておくと、
とんでもないものをとんでもなく買っちゃう癖が昔からあって、
いきなりi-bookを買いにヤマダデンキにバイクを走らせたり、
PDAが欲しいから、今から買いに行くぞとか急に言い出したりするんですね。
それをとめるのが僕のもっぱらの役目なわけです。大学の時から。
いや、別に僕は電化製品の場合は「買うな」とか、
「そんなもんいらんで」とか言いますけれど、
被服とかファッション的なものについては、
それについての率直な感想を述べるだけなんですけどね。
「自分、その服着て、まぐろ漁船にのるんか?」とか。
彼はその感想を聞いて、買うかどうかきめるわけです。

ということで、お昼ご飯のカレーを食べおえ、京都へ。
カレーがいつもよりすこし辛かったのは、
いつものカレー粉をかえてみたせいで、
決して、涙のせいではありません。そう、信じさせてください。
いやぁ、たくさんお買い物しましたね。直樹君がですよ。
スーツの上から着れる防寒着やら、
セールだったレッド・ウィングの靴だとか、
ヒップバッグとか、その他諸々。
「寒い地域にやってきた、中東ゲリラみたいな装いやな」
「その形容、すごく気に入った。店員さん。これ、買います」
と言って買った、すこし長めのマフラーとか。
いや、僕もね、このまえやたらめったら高い防寒服を買ったばっかりなんで、
あんまり人のこと言えないですけれどね。買い物しすぎ。
買い物によって得るカタストロフィというものを、
具現化したような1日、いや、数時間でした。
僕も、ここ一週間ほど切らしていた種入りマスタードを、
明治屋で買ってみたり。
僕は僕で、甘いものあんまり食べられないのに、
フランスのミルク・チョコレートを買っちゃいそうになったり。
チョコレートなんて、ひとかけらで鼻血出そうになるのにね。
丸善ブックストアに行って、ずっと探している本を探すも、
どれもこれもやっぱりなかったり。

晩ご飯に、マクドナルド三条通店跡地に、
あたらしくできたお寿司やさんに行ってみたりして。
なにやらバブリーな動きを今日一日見せていた直樹君に、
ごちそうになってしまいました。ありがとうございます。
食後に河原町にある喫茶店でゆるりとコーヒーを飲み、
そんなこんなで、さっき大阪に帰ってきたわけでございます。
あ。そう言えば、今日はCD屋さんに行ってませんね。
ほしいCDそれなりに二人ともあったのに。
まあ、それはまた今度ということで。


12月26日

最近ね、『めぐりあう時間たち』という映画を観たいと、
切に思っているわけでして、
この『めぐりあう時間たち』を観るまえに、
ヴァージニア・ウルフさんの『ダロウェイ夫人』を、
予習として読みました。
いや、ね。この『めぐりあう時間たち』っていう映画は、
『ダロウェイ夫人』のことを知っていたほうが、
楽しく観れるであろうと思われたんですよね。
物語が『ダロウェイ夫人』を軸として展開するらしいし、
映画のなかに、「ダロウェイ夫人を執筆するヴァージニア・ウルフさん」
というのがもろに出てきますしね。
ということで、ダロウェイ夫人。
いや、僕はヴァージニア・ウルフさんの小説を、
読むのはじめてだと思ってたんですけれど、大嘘でした。
大学の授業かなんかで、チョロっと原書読んだことあったわけですけれど、
そんなこと、まったくもって忘れてたんですよね。アホです。
で、この『ダロウェイ夫人』なんですが、
物語は朝にはじまり、夜におわります。
6月のある1日という非常に限定された時間のなかで、
いろいろな人たちがいろいろなことを考え、
1日のあらゆる断片から彼らは自分自身の歴史を思いかえすんですね。
そしてそれらの歴史や人びとが、現在過去と結びついて交差していく。
という、非常に説明しにくいお話でして、
しかも、一つのセンテンス内で人称がいきなりかわったり、
語り手が突然かわったりしてね、最初はとても読みにくく感じますけれど、
この本の流れさえつかんじゃえば、
すごく文章がきれいですし、とても映像や意識を形作りやすいですよ。

「そのときだった、私の全生涯でもっとも素晴らしい瞬間が訪れたのは。
お花が植えてある石の瓶のところを通り過ぎたときだった。
サリーは立ち止まり、花を一本つみ、わたしの唇にキスしたのだ。
全世界がひっくり返った感じだった。
ほかの人はみんな消えうせ、サリーと二人きりになった。
包装紙で包まれたプレゼントを渡され、
なかを見ないでとっておいてね、と言われた感じだった。
紙に包まれたダイヤモンド、あるいは途方もなく貴重ななにか。
それを(行ったり来たり)歩きまわりながら、わたしはあけた。
いや、あけたというより、
燦然たる輝きが包装紙を焼ききって外にあらわれたという感じかしら。
まさに啓示、宗教的感覚」

これは主人公のクラリッサ・ダロウェイ夫人の回想シーンです。
クラリッサにキスしたサリーも、名前のとおりクラリッサと同じく女性です。
そういえば、ヴァージニア・ウルフさん自身も、
レズビアン傾向があったらしく、
小説のなかでも、こういうことになってるんですね。

というわけで、今日は『めぐりあう時間たち』を、
宮本圭は観たのかと思いきや、決してそういうわけにはいかず、
すこし年末のお買い物に出かけたり、
部屋で年賀状発送の準備をしたり、
そういう諸々の雑事にかまけてたわけでございます。
僕のような者にも、年末は容赦なくやってくるのです。


12月24日から25日

昨日はお昼から京都へ。
ナベ君のアパートのとなりにある喫茶店で、
そこで食べる今年最後の昼ご飯をいただいてみたり。
喫茶店のおばちゃんたちとひとしきりおしゃべりしたあとは、
まあ、あまりいつもとかわるところなく、
うだうだと過ごしていました。
「あぁ。なんで、クリスマス・イヴの日にやで?
お前みたいなもんと一緒におらなあかんねや?」
と、ひとり愚痴るナベ君と、
「いや、あんな、今日をクリスマス・イヴやと思うからあかんねん。
普通の日やと思えばええねん。
っていうか、今日はクリスマス・イヴと言うよりも、
北村雅英さんの誕生日やで?そっちを俺らは祝ったらええねん」
「北村雅英て、トミーズ雅の本名やないか。
あんまりトミーズ雅、俺らに関係ないしなぁ」
「大切なんは、心のありようやで。
とにかく、北村雅英さん。お誕生日おめでとう」
「おめでとう」
「な?けっこう、普通の日やろ?」
「うぅん。そうかなぁ?
なんか、だまされてる気がせんでもないけどなぁ」
という、非常に非建設的な会話をかわしつつも、
夕方からもう二人ほどお友達がやって来たりして、
まあ、普通にご飯を食べたり、すこしお酒を飲んだりしたのち、
終電にて大阪に帰って来たのでございます。
そういえば昨日の夜に、直樹君から、
「アホか。普通に仕事してるっちゅうねん。アホか」
という、だれに怒りの矛先を向けているのか、
非常にわかりかねる電話がかかってきました。

今日は夕方に歯医者さんへ。
またもや、新しい銀歯を入れてもらいました。
前回はなんて言うか、歯にはめるタイプの銀歯を入れてもらったんですけれど、
今回の銀歯は、歯全体をすっぽりとおおうタイプの銀歯で、
この銀歯をつくるためには、歯の型をとって、
モデルをつくった後に銀歯をつくらなければならないんですね。
そういう意味では非常にめんどうな行程を経て、
やっと銀歯をはめるに至るわけですけれど、
銀歯を入れちゃったあとはどうせいらないらしいし、
せっかくなんで、銀歯制作過程に使用した、
僕の歯のモデルをいただいて帰ってきました。
こんなのです。


(画像をクリックで拡大です)

まあ、僕へのクリスマスプレゼントということで。
クリスマスですしね。

For weak and for strong
For rich and the poor ones
The world is so wrong
And so happy Xmas

弱い人にも、強い人にも、
富める人にも、貧しき人にも、
世界はこれで良いとはとても思えないけれど、
とにかく、ハッピー・クリスマス

はい。わかりました。ジョンレノンさん。
ハッピー・クリスマス。


12月23日

今日は夕方に『シティ・オブ・ゴッド』という映画を。
いやぁ、これね、ブラジル映画なんですけれど、
あまりにも強烈でした。目がチカチカしちゃうくらい。
「神の町」と呼ばれるリオ・デ・ジャネイロ近郊のスラムが舞台の映画です。
極彩色のスラム街から溢れ出る、原色の欲望。
繰り返される、レイプ、強奪、殺人、ドラッグ。境界線のない生と死。
恐怖や力によって保たれる一種のシステム。
暴力によって得たものは暴力によって奪われるという、
厳然たる秩序。負の連鎖。
いやいや、強烈でしたね。ぜひ、観てください。
構成もすごく丁寧なので、2時間こえるにも関わらず、
まったくだれずに観ることができますよ。

あのね、実は『ムーラン・ルージュ』を観ようかとも思ったんですけれど、
2日連続ミュージカルは、さすがに飽きちゃうかなぁ。
と、思ったり。それより、なによよりもの抑止力になったのは、
きっと『ムーラン・ルージュ』を観ちゃったら、
サウンドトラックを買ってしまうのではないかなぁ?
いや、絶対に買っちゃいますね。って、思ったんですよね。
今日、昨日観た『シカゴ』のサウンドトラック買ったのに、
そんないっぱいCD買ってる場合じゃないぞと。
それにしても『サウンドトラック盤シカゴ』、良いですよ。
なんだか、ノリノリです。豪華です。

今日は短いですけれど、これくらいで。
なんにせよ、昨日がんばりすぎました。


12月22日

さて、みなさん。
今日御紹介する映画は『シカゴ』という映画でして、
って、いきなり浜村淳方式ではじめる必要はまったくないんですけれど、
昨日観てたのは、ミュージカルの『シカゴ』なんですね。
いやいや、おもしろかったですよ。
ダンサー・イン・ザ・ダーク』もミュージカルですけれど、
あれはねぇ、超絶にダウナーな映画ですからねぇ。
ビョークさんが不幸すぎるんですね。とりあえず。
生きる気力をなくします。プラスイオン出まくりです。
いや、良い映画なんですよ。良い映画なんですけれどね。
あまりにも救いがない。救いがないこと山のごとしなんですが、
この『シカゴ』は、普通のミュージカルです。良いお話ですよ。
いや、裏をとってみれば、そう良いお話でもないんですが、
安心して観れます。音楽も良いですしね。
キャサリン・ゼタ・ジョーンズさんが超絶に歌うまいです。
あと、レニー・セルヴィガーさんがムチムチすぎて、
もうちょっとやせてくださいって思ったり。
うん。とりあえずね、サウンドトラックを買うところから、
はじめてみようかなと思っております。
あと、前に一度観たんですけれど、
同じ毛色の『ムーラン・ルージュ』を観たくなりましたね。
こちらはユアン・マクレガーさんとニコール・キッドマンさん。

で、今日は夕方に家庭教師に行っておったわけですが、
BBSにて「ノルウェイの森」は「ノルウェイの家具」であるという、
説もあるとの情報をいただいたこともあり、
帰ってきてから、すこしいろいろ調べてみたんですね。
「ノルウェイの森」もとい"Norwegian Wood"
まず、「ノルウェイの家具」だとする説。
これは、僕が中学生の時に古本屋さんで見つけて、
以来、とても大切に度々読み返したりしている、
ビートルズ全詩集』という本にも、訳注として、
「Norwegian Woodは、ノルウェイ原産の木材及び、
それを材料としてつくられたものとも、解釈できる」
と言うておるわけでしてね、
さらに、僕がなにかのセールかなんかで、
定価の半額以下で3年前に買った、
メイド・イン・マレーシアのカシオ製電子辞書EX-Wordに内蔵されている、
ジーニアス英和辞書にて、wood を調べてみると、

wood -n
1, 木、たき木 (英知=生と死の象徴)
2, 森、林 (forestより小さく、groveより大きい)
一般的には複数形で用いる。 
英国では a wood または woods アメリカでは a woods
3, (形容詞的に)木製の

と、まあ、こんな具合でして、
やっぱり定かではないわけですよ。
そして、ノルウェイの家具を調べてる時にわかったことは、
とりあえず、ノルウェイの家具はべらぼうに高い。ということですね。
アーム・チェアが一脚で30万円て。バブルです。バブル。

はい。つぎ。
昨日僕も言っていた、
"Norwegian Wood" は "knowing she would"
であるという説。
もともとこの"Norwegian Wood" という曲は、
ジョンの浮気の体験をもとにつくられた曲らしく、ジョン自身も、
「"Norwegian Wood" は僕がつくった曲だよ。
つきあってた女の子のことなんだけれど、
だれのことだかはわすれちゃったなぁ」
と、非常に無責任なことを言っており、
その彼女とは、前妻のシンシアとはちがうぞと。

まあ、そんなところなんですけれど、
どっちが真実なのか?それともどちらもまったくちがうのか?
ということにつきましては、みなさん御自身で判断してください。
と、僕も身勝手なことを言ってみる。
でね、ここで「ノルウェイの森」の歌詞を紹介したいところなんですが、
やっぱり、著作権上そのままのせちゃうのは、
大いに問題がありそうなんで、訳詞で我慢してください。
しかも、訳したのは、この僕なので、
まずいところも多々あることすら、菩薩の心でおゆるしください。

ノルウェイの森

このまえ、女の子をひっかけたんだ
いや、僕がひっかけられたんだったかな
とにかく、その子は僕を部屋に招いてくれたんだ
ノルウェイの森 これって最高じゃない?

彼女は、泊まってくでしょ?と僕に聞き、
それから僕に言ったんだ 好きなところに座ってね
だから、僕は座るところを探したんだけれど、
その部屋に椅子は一つもなかったんだ

じゅうたんに直接すわって、僕はじっと待ったんだ
彼女のワインを飲みながらね
僕たちは2時までおしゃべりをして、
ようやく彼女は言ったんだ さあ、もうベッドに行かなきゃ

朝早くから仕事があるのよと言って、
彼女は大きな声で笑い出した
明日、僕にはなにもないよって、僕は言ったんだけれど、
結局、僕はバスルームで寝ることになったんだ

目をさましたら、僕は部屋にひとりぼっちで、
小鳥はどこかに飛んでいってしまった。
僕は煙草に火をつけた
ノルウェイの森 これって最高じゃない?

さあ、いかがでしょう?
この、「ノルウェイの森」っていうところを、
「ノルウェイの家具」にしてみたり、
「彼女がやらせてくれるってわかってる」にかえてみたりしてください。
最後に、どうしても、原文が見たいぞ。
お前の訳なんかあてになるか。どアホ。
という方は、英語のサイトですけれど、
このページをどうぞ。「ノルウェイの森」の歌詞です。


12月21日

ついさっき、村上春樹さんの、
「そうだ、村上さんに聞いてみよう」
と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問に
果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?

という、阿鼻叫喚に長いタイトルの本を読みおわりました。
これ、一般読者の方の質問に、
村上春樹さんが答えていくという本です。
たとえば、NHKの受信料は払っていますか?
という、非常にくだらない主婦的な質問から、
文学とか政治などの真面目な質問にまで、
まあ、普通にそつなく答えていくんですね。
これね、2週間くらい前にアマゾンから届いて、
ちょっとした時間、たとえば、
パソコンが起動するあいだであるとか、
シャワーのコックをひねって、
水がお湯になるまでのあいだであるとかに、
細々と読んでたのを、さっき全部読みおわっちゃったわけです。
僕は村上春樹さんの本は、今までに3冊しか読んだことないんですけれど、
まあまあおもしろかったですよ。
ちなみに、さっきは観おわったビデオを巻き戻してる時に、
読んでたんですけれどね。
で、これで一番おもしろかったのは、
ビートルズの「ノルウェイの森 Norwegian Wood」
この曲、もともとは、
"Isn't it good, knowing she would"
(彼女がやらせてくれるってわかってる。これって、最高じゃない?)
っていう歌詞だったんですけれど、
これはちょっと、いくらなんでも。
と、まわりの人が屁たれてしまい、
knowing she would に語呂が似ている、
Norwegian Wood になったっていう説があるんですって。
で、ほんまかいな?って、やっぱり僕はなりまして、
さっき「ノルウェイの森」の歌詞を見て、
実際に曲を聞いてみたんですけれど、
あぁ。そうかもしれへんなぁ。って、感じですね。
歌詞を訳すとこんな感じです。

「このまえ、女の子をひっかけたんだ
いや、僕がひっかけられたんだったかな
とにかく、その子は僕を部屋に招いてくれたんだ
ノルウェイの森 これって最高じゃない?

彼女は、泊まってくでしょ?と僕に聞き、
それから僕に言ったんだ 好きなところに座ってね
だから、僕は座るところを探したんだけれど、
その部屋に椅子は一つもなかったんだ」

この歌詞の「ノルウェイの森」っていうところを、
「彼女がやらせてくれるってわかってる」
にかえてみてください。どうでしょうか?
いや、これは本当のことではなくて、
あくまで一つの仮説らしいですからね。
「ノルウェイの森」という言葉が、
なにかのメタファーとしてつかわれているという可能性もありますし。

というわけでね、日本中はおろか、
全米、全仏、全箕面市までが待ち望んだ、
2004年デザイン汚染賀正賀状が、
ついに完成いたしましたよ。
いやぁ、なかなかに良い出来ですよ。
僕が住所を知ってる方々はもちろん、
トップページの告知に申し込んでくださったみなさん。
楽しみにしておいてくださいね。
年賀状の受け付け、まだまだやっておりますですので、
デザイン汚染的新春御挨拶状がほしい方はね、
メールで住所など教えてくださいね。まだまだ間に合います。
っていうか、ここまで大風呂敷ひろげておいて、
果たして宮本圭は大丈夫なのか?という危惧もあったりなかったりしますが、
大丈夫です。僕は自分を追い込むのが好きなんでね。
超高校級のマゾなんでね。
って、これ、大丈夫な理由になってませんね。

とりあえず、年賀状制作過程に聞いたCDとかMDをメモってみましたので、
その一覧なんかを。

The Beatles
"Let it be Naked"
"Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band"
"Rubber Soul"
"The Beatles 1967-1970" のディスク2

Radio Head
"Amnesiac"

Bjork
"Debut"
"Telegram"
"Bjork Greatest Hits"
"Dancer in the Dark" のサウンドトラックの"Celma Songs"

椎名林檎
『勝訴ストリップ』

いや、こうやって書いてみると、
なんだか恥ずかしいですね。
僕の個人的性癖をのぞかれてる気分です。
なにやら大英帝国的なCDが多いですね。
ビョークさんはアイスランドだけど。

で、今日は夕方にひっさしぶりに映画を観たんですけれど、
そのことは明日にでも書こうかなと。
いや、もうすでにかなり長くなってますからね。
なんの映画を観たかというとね、いや、それは明日に書きましょう。
ヒントは僕の聞いたCD一覧のなかにあったりなかったり。
ダンサー・イン・ザ・ダーク』を観たわけじゃないですよ。


12月20日

昨日夜中に帰ってきて、シャワー浴びて、
ここのページ更新したら、すごく眠くなってしまい、
やはり根本的欲求には人は逆らえないのだろうか?
と、すこし不安になったりもしつつ本を読んでたわけですけれど、
普通に読書をしてしまい、寝たのはいつもの時間でした。
ついでに、サマセット・モームさんの『月と六ペンス』を読了。
これ、芸術、この小説の場合は美術なんですが、
とにかく芸術に取りつかれた男の人生について、
第三者である主人公の「僕」がそれを回想するという、
グレート・ギャッツビー』と同じ形式の小説です。
そして、この小説の主題というか、テーマというのはね、
本文をそのまま引用いたしますと、
「人間の心というものは、いかに矛盾に充ちたものであるかということ、
誠実な人間にさえ、いかに多くのポーズがあり、
高潔な精神のなかにも、いかに多くの不純があり、
かと思えば、背徳者のなかにさえ、
いかに多くの善意があるかということ」
なんですけれどね、モームさん自身が、
「わしゃあ、通俗小説家じゃけえのぉ」
と、広島弁で言ったかどうかは知りませんが、
とにかく本人がそう言っているとおり、
その主題が極端にデフォルメされ、
とてもわかりやすく描写されているので、
スラスラ読めて、なかなかにおもしろいですよ。
それに、この物語の表面をおおう通俗性の奥に、
結晶にも似た素晴らしい芸術性がありますしね。
いやいや、おもしろかったですよ。
第三者の目にうつる天才の姿という形でお話が進行していきますので、
天才像というのがとてもわかりやすいですしね。おすすめですよ。
このタイトルの『月と六ペンス』
巻末の解説によると、僕もすこし前に読んだ『赤と黒』同様、
象徴的意味をもってるらしく、
月は、人を狂気に陥れる芸術的創造に対する情熱、
六ペンスは、世俗的因習や、しがらみなどのシンボルらしいです。

この『月と六ペンス』はモームさんが、
ポール・ゴーギャンの伝記にインスパイアされて書いたものらしいですので、
今日は夕方に本棚から図録を何冊か引っぱりだしてきて、
ゴーギャンさんの絵を探してみたり。
いや、ゴーギャンさんはもともと寡作だったし、
彼の絵は世界中に散らばって所蔵されているので、
「ゴーギャン展」みたいなのは、僕の知る限りでは、
日本で開催されてないんですね。
僕もポール・ゴーギャンの絵は2、3点しか生で見たことないですし。
どこで見たかは忘れちゃいましたけれど。
とりあえず、僕のもってる図録のなかの1冊に、
有名な「タヒチの女たち」が収録されておりました。
これは生で見たことあります。その時の僕の印象としては、
多分「圧倒的な生」みたいなものだったんじゃないかなぁ?
と思うんですけれど、いかんせん、どこで見たか忘れちゃうくらい昔に見たんで、
この僕の感想はあやしいこときわまりないですね。いや、マジで。


12月19日

はい。こんばんは。宮本圭です。
今日はちょっとおそい時間の更新ですね。
行ってきましたよ。行ってきましたとも。京橋実演販売会。
いやぁ、寒かったですね。マジで。
ちょっと気が狂うかと思いました。あまりの寒さに。
govigoviさんも、govigoviさんのお友達の方も来ていらしたんですが、
とりあえず、みんなそろって死ぬかと思いました。
もうね、痛いの。風が刺さるの。鬼嫁の視線くらい刺さるの。
それに腰とか関節がね、僕がもうじじいだということをさっぴいたとしてもね、
不必要に痛いの。ギシギシいうんですよね。
身体のいろいろな部分からいろいろな音が聞こえます。
お前はマジンガーZかと。越智一裕にあやつられてるんかと。
もうね、
「ドクター・ヘルをやっつけろっ」
とか言ってる場合じゃない。
日本テレビもね、北の国からとか放送してる場合じゃないですよ。
いや、マジで。こっちは実質北の国だっていうのに。
しかしながらね、この寒いなか、僕たちのポストカードを見に来てくれたみなさん。
立ち止まってくれたみなさん。買ってくれたみなさん。
寒いのにどうもありがとうございました。多謝。

で、帰りに晩ご飯を買おうと思って、コンビニエンスストアに寄ったんですね。
そこのお店は僕が良く利用するコンビニエンスストアでして、
店員のお兄ちゃんとも仲良しなんですね。
どれくらい仲良しかというと、僕がお店に入るだけで、
なにも言わないでもコカ・コーラが出てくるくらい、
まあ、僕のことをわかってらっしゃるわけです。
で、そのお兄ちゃん。この21世紀の日本において今もなお、
「350万円のお買い上げ、1000万円お預かりして、
650万円のおかえしです」
と真顔で言っちゃうほど、ファンキーなお兄ちゃんなんですね。
で、僕が、
「今日は万円はなしでね」
と言うと、
「わかりました。今日は万円はなしで」
と、神妙にうなずいていたんですけれど、
なにやら色々まちがえてました。ちょっと噛んでたし。
「いや、やっぱり万円って言っても良いですよ」
と、思わず僕が言ってしまった時のお兄ちゃんの笑顔を、
僕はなにがあろうと忘れません。

で、公園でパンとコカ・コーラの夕食を。
いや、この寒いなか家に帰って食べれば良いやん。
って言われちゃいそうですけれど、
どのような気候で、雨以外ならどのような天気でも、
僕は公園でご飯を食べるのが好きなんですね。
ヘッドフォンのなかでジョージも、
「僕をかえることができるものは、まったくなにもないのです」
と歌ってたことですしね。
コカ・コーラはいつ何時飲んでもおいしいものです。


12月17日から18日

昨日はお昼から京都へ行き、
またもや本をアホみたいに2冊買い、
ナベ君の家で2、3時間ほどまったりしたあと、大阪の京橋へ。
前代未聞当代屈指のブラック企業デザイン汚染の、
提携企業でありますところのgovigoviさんと晩ご飯を。
govigoviさんは別にブラック企業ではないのですが、
とりあえずは両社の発展を祈りつつ、
「人類は大豆をちょっと見くびりすぎてるんじゃないか?」
という議題のもとに親睦会を。
つまりは、ただ普通にお豆腐料理をみんなで食べたぞと。
僕たちはこの店は初めてだったのですが、
govigoviさんは何度か来たことがあるらしく、
「カーテンが湯葉でできております」
と、入る前におっしゃっていました。
いや、マジでなにもかもお豆腐でしたね。
うん。偉大です。豆腐百珍。

大豆的食事、と言うとなんだか糖尿病治療みたいですが、
大変おいしく大豆的食事をいただいたあと、
大阪城公園までふらふらとみんなで歩いていってみたり。
で、夜中にお家に帰ってきて、
本当は年賀状のためのお絵描きをしたり、
ここのページを更新したりしなきゃだったんですが、
熱いシャワーを浴びて、本を1時間半ほど読んで、
昨日は寝てしまいました。

今日は1日家にいて、年賀状のお絵描きをしてたんですが、
なかなかにはかどり、もうすぐ完成しそうな勢いです。
もしかしたら今日中に出来上がっちゃうかもしれません。
で、今日は知り合いの方から蟹の缶詰めという、
えらく豪勢なものを最近いただきましたので、
それをつかって、晩ご飯に蟹の玉子とじあんかけを。


(画像をクリックで拡大です)

本当はね、今日はえらく寒いので、
蟹の玉子とじとあたたかい野菜スープでもつくろうと思ってたんですが、
今日は2品つくるのめんどくせえなあ。ということで、
あんかけにしたわけでございますね。
はい。すいません。怠慢かましました。
しかしながら、おいしかったです。

ところで、みなさん。
あまりにも性急すぎて、トップページには書いていませんが、
明日、デザイン汚染は京橋で絵葉書展示即売会を実施いたします。
時間は夜の9時から11時くらいまで。
どうぞお時間などあれば、お立ち寄りのほどを。
提携企業のgovigoviさんもいらっしゃいますよ。
govigoviさんは来年のカレンダーも販売するらしいです。
2004年のはじまりをgovigoviカレンダーとともに。
いや、デザイン汚染のほうもどうぞよろしくお願いいたします。


12月16日

もうすぐクリスマスだし、
本もクリスマスっぽいものでも読みましょうということで、
チャールズ・ディケンズさんの『クリスマス・カロル』を。
クリスマスに相応しく、とても良いお話です。
これ、ストーリーを知らない人はいないんじゃないかしら?
というほど有名なお話なんですけれど、
まあ、ケチで守銭奴で、
「クリスマスなんて、商売の邪魔にしかならない」
と言ってはばからない主人公のおじいさんが、
クリスマス・イヴにやってきた3人のクリスマスの幽霊の案内で、
過去、現在そして未来のクリスマスをのぞき見る。
っていうなんてことないストーリーです。
これに似たお話もたくさんありますしね。
しかしながら、物語の構成や緩急の使いわけがとてもうまいですし、
流れるようにスムースなディテールの描写で、
映像を頭のなかに思い浮かべやすいので、
読んでるあいだじゅう、とても楽しいですよ。

「茶とコーヒーの入り交じった良い香が鼻をよろこばせる。
極上品の乾葡萄は多量にあり、巴旦杏は真白だし、
肉桂の棒はすこぶる長くて真直ぐである。
その他の香料も何とも言えないすてきな匂いであるし、
砂糖漬の果物が溶かした砂糖で固めてあるのを見たら、
どんなに冷静な人でも興奮してしまうくらいだった。
イチジクは汁が多くてやわらかく、
フランス李は華やかに飾ってある箱におさまって、
つつましやかな酸味をたたえながら顔を赤らめていた」

ね?素敵でしょ?
なんだかとても楽しくて、お腹もへってきてしまいそうです。
この『クリスマス・カロル』とても短いですし、
すぐ読めちゃうので、おすすめですよ。
クリスマスに、ぜひ。

ということで、今日は歯医者さんへ。
今日も治療中に哲学のお話を。いろいろと。
僕は正直、哲学のことはあんまり知らないので、
おもに歯医者さんのお話を聞いております。
「語りえぬものは沈黙しなければならない」


12月15日

今日は夕方から堺市で家庭教師を。
とても冬らしい日で、もっと端的に言ってしまうと、
行き帰りにちょっとうろたえてしまうくらい、
今日はとても寒い日でしたね。
いや、しかしながら、昨日買った防寒着を着て行ったのでね、
はっきり言って楽勝でした。

12日に書いた、右も左もわからないピアス屋さんの姉ちゃんについて、
彼女はもしかしたら左利きなのではないか?
という情報をBBSにていただき、
ちょっと左利きについて調べてみたところ、
たしかに、左利きを無理矢理右利きに矯正すると、
とっさに左右の区別がつかなくなる場合もあるみたいですね。
いや、実は僕も思いっきり左利きで、
サッカーする時とかも、かたくなに右足はつかわないというほどの、
ディエゴ・マラドーナ的純粋レフティなんですけれど、
右と左は普通にわかるんですね。
これは多分、僕は左利きを矯正されずに、
今まできたからなんでしょうけどね。
なるほど。多分、受容の問題でしょうね。
勉強になりました。
左利きについて興味がある方は、
左利きの小ネタ」というウェブサイトがありますので、
そこを見てみてください。おもしろいですよ。

あれ?いや、っていうか、待ってください。
そのピアスやのお姉ちゃんが本当に左利きかどうかは、
僕は確認していないのでわかりませんが、
僕の記憶では、たしか、右手でピアスを棚から取ってた気がします。
うん。多分。右手で取ってた。
とりあえず、明日にでも、確認しに行ってきましょうかね。


12月14日

あぁ。さっきまでトヨタカップ観てたんですが、
どっとつかれましたね。
前半まではおもしろかったんですけれど、
後半以降がぐずぐずでしたね。
CL決勝ユベントス戦の再現かと思いましたよ。
ミラン負けたし。あぁあ。
もう、なにも言う気になれないんですが、
そうも言ってられないので、
なんとか、がんばって更新させていただきます。
ただ、マルディーニとコスタクルタは素晴らしかった。
コスタクルタはPKで逆ファンタジーやらかしちゃいましたけど。
僕としてはルイ・コスタに、もっとがんばってもらいたかった。

今日はお昼に灘波へナベ君について来てもらい、買い物へ。
あたたかげな防寒着を買いました。
いや、もう、あたたかいとか、
そういう凡庸な形容詞にはあてはまらないくらい、
ものすごい防寒着を買ったんですね。
ゴツいです。なんていうか、いごっそうって感じです。
店員のお兄ちゃんが言うに、
大阪にいる限り、この防寒着を着てて寒いと感じることは、
絶対にない。とのことです。僕の、
「これの下にユニフォーム以外のものを着る気はまったくないんですが、
果たして大丈夫でしょうか?寒くない?」
という問いにも、間髪を入れずに、
「絶対に大丈夫です」
と答えてくれました。きゃー。素敵です。
これで「1年中春夏秋冬常にサッカーユニフォーム着用計画」という、
僕の長年の夢が実現できそうです。
1枚脱いだら常に半袖ユニフォーム。
これ、ゴツさのあまり、絶対にバックパックに入らないので、
そのまま着て帰ってきたんですけれど、
いやいや、マジであったかいです。これ。

で、夕方に急いで帰ってきて、
トヨタカップをテレビで観てたんですが、
まあ、上に書いたとおりでね。
もう、あんまりなにもやる気おきないわけで、
なぜに1点入れてるトマソンを交代させたんか?
なぜにセルジーニョを投入せんのだ?とかいう、
アンチェロッティ監督に対する、やるせない思いにも苛まれたりしつつ。
いや、ボカ・ジュニアースもすごく良いチームだったんですけれどね。
テヴェスは完全にアホ顔だけれど、南米らしい速い巧い選手だし、
守備は堅いし、ゴールキーパーのパントは超絶に正確だし。
もうちょっとおもしろい試合が観たかったですね。なんにせよ。

ちょっと順番がバラバラになっちゃいましたけれど、
昨日の夜に、歯医者さんからいただいた、
大江健三郎さんの『人生の習慣』を読みおわりました。
この「人生の習慣」というタイトルは、
フラナリー・オコナーさんの"The Habit of Being" という、
彼女の書簡集のタイトルからとられたものです。
で、この本は大江健三郎さんの講演を監修したもので、
もちろん、フラナリー・オコナーさんについても触れられてるんですが、
この本のなかで、僕が一番素晴らしいなぁと思ったのはね、
読書についてしゃべってはるところで、
フランスの哲学科、ジャック・デリダの考えを紹介してて、
「読むということは書くということで、
書くことは生きることであり、生きることは読むことであり、
読むことは書くことである」
と言っててね、これをアメリカの学者のロバート・スコールズが解釈するには、
これはつまり、本を書かない僕たちは、
この「書く」のところを「考える」にするのが僕は適当だと思うんですけれど、
読む→書く(考える)→生きる→読む
という、無限ループのなかで、本からなんらかの真理や知恵を直接汲み取ることは、
実際には不可能で、書くということでその物語自体を一回自分のなかで破壊して、
その破壊したものから再び自分の現実生活に則して、
物語や自分の意識を構築するべきであると。
その再構築という行為自体が読書なのであると。
こう、ロバート・スコールズさんはデリダの考えを参照にしながら言うてるんです。
で、大江健三郎さんは、その「再構築」という考えは古いんではないかと、
おっしゃられるわけでして、再構築というよりも増築なのではないかと。
もともと僕たちには意識というものがあって、
まあ、簡単に性格って言っても良いですけれど、
それが読書をして考えることによって、
すこしずつその自分の価値観はかわっていく。
それはまったく新しいものを構築する行為や、
既存のものをまったく新しいものにつくりかえることではなくて、
今までのものにちょっと新しいものが加わる、
つまり「増築」なのではないだろうか?
ということをおっしゃられておるわけですよ。
いや、この意見、スコールズさんの意見よりは、
いくぶん厳しめだと思いますけれど、
素晴らしいと思います。本当に。


12月13日

今日も歯医者さんへ行ってたんですけれどね、
この前、ここを読んでくれてる人に、
「最近、歯医者さんよく行ってるよね」
とか言われてみたりしたわけなんです。
はい。歯医者さんには良く行ってます。
この前も書いたと思いますが、
もう、歯の神経を殺しちゃってるので、
なにをされても、どこを削られてもまったく痛くはないわけで、
ドリルの先端を中心とした苦痛苦悶阿鼻叫喚の地獄絵図といった、
そういうステレオタイプなことにはまったくなっておらず、
非常になごやかに、普通におしゃべりしたりしながら、
僕の歯は治療されていくわけなんですけれど、
今日は歯を削られながら、哲学のお話をするという、
なにやらシュールなことになっておりました。
どうでも良いことなんですけれど、
僕の歯を治療してくれてる歯医者さんは、
百足とか蛭とか、そういった虫的なものが非常にきらいで、
見るのも虫の話を聞くのもいやらしいんですが、
それを聞いた僕は、
「え?虫がきらいな歯医者さんって。
歯医者さんのおもなお仕事は虫歯の治療じゃないのかしら?
虫を見るのもいやなのに、虫歯の治療がお仕事。
虫歯を削ることのモチベイションは、
虫に対する怒りかなにかなのかなぁ?
お前ら撲滅させたるで。的な」
とか非常にくだらないことをひとり歯を削られながら思ってたんですが、
まあ、ね。あまりにもくだらなさすぎて、口に出す気もおこらず。
帰りに本を3冊いただきました。ありがとうございます。


12月11日から12日

昨日は朝から京都へ。
お昼前に今出川に着き、大学の前にある本屋さんをのぞいて、
下宿で、んーんー言いながらアホみたいに寝ていたナベ君を、
マンガ本を読みながら2時間がかりで起こして、
一緒にお昼ご飯を食べて、ナベ君から、
「よっしゃ。アカデミックな会話をしてこい」
という、ややわけのわからない歓送の言葉を賜りつつ、
僕はフォルクス先生のオフィスへ。
いや、もうすぐ大学は冬休みだし、きっと今年最後になるだろうから、
行くなら今週中しかないよなぁ。
なんて、ずっと思ってたものでね。
最近読んだフラナリー・オコナーさんの『秘義と習俗』は、
フォルクス先生の研究対象直球ど真ん中なので、
そのお話をしたり。アメリカ南部文学のお話とか。
アメリカ南部文学と宗教、特にファンダメンタリズムっていうのは、
すごく関係が深くてね、特定の宗教に属していない僕みたいな人から見れば、
時にはすこし奇異にうつる部分や描写もあったりするんですけれど、
全体をとおして言っていること自体は良く理解できることだし、
おおむね否定する要素もないんですね。作品自体を。
そういうことを先生に言いますと、
「それはケイが宗教的な人だからだよ。
限定された一つの宗教に帰依していなくても、
自分のなかで正しいと思うことをすることや、
自分の尺度での物事の善悪の基準を持ってる人はみんな、
宗教的な人だと言えるのだよ」
と、おっしゃってました。
全然関係ないですけれど、フォルクス先生マラソンが趣味で、
若いころ、日曜日の朝には毎週20マイル走ってたらしいです。
フルマラソンも完走したりしてるらしいですよ。すごい。

で、昨日はナベ君が夜の8時まで授業でして、
それに一緒に出ても良かったんですけれど、
いかんせん経済数学という、僕にとってはタガログ語にひとしい授業でしたので、
コーヒーでも飲みながら本でも読んで待っておこうと、
大学生協に行くと、たまたまお友達がおりましたので、
ベンチですこししゃべってみたり。

雨のなか、授業のおわったナベ君といったんナベ君のマンションに帰り、
ご飯を食べてとっとと大阪に帰ってくるはずだったんですが、
あれでしょ?昨日、雨ふってたでしょ?
もうね、雨のなか大阪に帰ってる場合じゃない。
わしゃ、欧陽菲菲か?雨の御堂筋か?
ということで、ナベ君のお家に泊めてもらいました。

今日はお昼に起きて、夕方くらいに帰ってきたくらいで、
別にこれと言って、なんにもないんですけれど、
そういえば、僕は朝起きて一番最初にシャワーを浴びるんですね。
ベッドから出て、そのままお風呂に直行するわけです。トイレ経由で。
でね、今日も起きて、さあ、シャワー浴びましょうとお風呂に行ったわけです。
そこで服を脱いでる時にですね、多分脱いでる時に引っかけたんでしょうけれど、
ピアスがとれちゃいました。
で、ナベ君のマンションはユニットバスなので、
トイレとバスタブが一緒になってるんですね。
そしてあろうことに、ピアスが落ちた先は便器のなか。
いやぁ。ちょっとへこみましたね。
いや、普通にピアスはまだ流れてなくてね、
拾えないこともなかったんですが、あれですよ?
便器のなかのチタンのピアスですよ?
それを拾って耳につけるんですよ?
ちょっと想像してみてくださいよ。
ヴァイオレット・フィズのグラスのなかにダイヤモンドの指輪とかならね、
まだなんかかなりバブル的で、夜でもサングラスははずさない。みたいなアホの男が渡して、
その指輪を喜んでアホの婦女子なんかは拾い上げそうですけれど、
学生マンションの便所の便器のなかに安物のチタニウムのピアスですよ?
それを拾い上げて、再び耳につけるなんてね、考えるだにおそろしい。
この世のおわりです。プチ脳内ハルマゲドンですよ。
ということで、3年くらい僕の耳にぶら下がりつづけたピアスでしたので、
最後くらいは苦しまずに一息でということで、
勢い良くトイレの水洗レバーをまわさせていただきました。供養。
帰りに新しいピアスを買いました。
っていうか、もうちょっと書いて良いですか?
長くなってますけれど、堪忍してください。
新しいピアスを買ってすでにはめてるんですけどね、
ピアス自体は別になにもなくて、大変機嫌よく耳にはまってるんですが、
今日のピアス屋さんの店員のお姉ちゃん。
あれは絶対おかしい。いや、マジで。
右も左もわかってません。本当の意味で。
僕がね、
「すいません。あそこの棚の上から3段目、左から2つ目のピアスください」
って言うと、右から2つ目のピアスをとろうとするのでね、
「いや、もっと左のやつです。上から2段目の」
と普通に言いますよね?すると姉ちゃんは、
さらに手を右にやり、一番右のピアスを手にとり、
ん?これ?というような顔をするんですね。かなり真顔です。
いやいや、おかしいやろ?僕は左って言ったでしょ?
あなたが指してる方向、それは右。僕が言ってるのは左。わかりますか?
方角の北はどっち?と聞かれて、僕は瞬時にはわかりませんが、
左にまがって。といわれて、真顔で右に行ったことは今までないですよ?
しっかりしてください。もう、大人やろ?それともなにか?
お前のなかでF1ドライバーの片山右京は片山左京なんか?
役者の左とん平は、あなたに言わせると右とん平なんですか?
といった、非常にしょうもないことを考えつつ、
やっとのことでピアスを出してもらった次第なのです。

そう言えば、今日は12月12日ですね。
12月12日濱の有名な大泥棒の石川五右衛門さんが、
生きたまま油のかまで煮られるという、
なんともおっとろしい釜茹での刑に処せられた日と言われていて、
12月12日に、紙に縦書きで「十二月十二日」と書いて、
それを家の各部屋の窓や扉のすみっこに逆さに貼ると、
泥棒除けのおまじないになると言われております。
まあ、これを書いている現在、
すでに厳密に申しますと13日ですので、
今さら貼っても、なんの効果もないんですけどね。
これ、逆さに貼らずに普通に貼っちゃうと、
泥棒さんいらっしゃ〜い。という、
非常に桂三枝的なことになっちゃいますので注意が必要です。
「石川や浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ」


12月10日

昨日の晩に、フラナリー・オコナーさんの、
秘義と習俗』を読みおわりました。
オコナーさんがどこかの雑誌に寄稿したエッセイとか、
講演会でしゃべった原稿などを再構成して文章化したエッセイ集です。
いやいや、おもしろかったですよ。
この本のなかにね、文学論というか、
小説について書いてあるチャプターがあるんですけれど、
なかなか辛辣で、かなりの毒舌っぷりです。
習俗(manners)を通して秘義 (mystery) を描く小説の方法論、
作家であることに対して自分が保とうとする厳しい姿勢や、
なみなみならぬ決意をもって文学に取り組まなければならないという、
当時の小説家に対する批判が書かれてあるんですけれど、
それだけではなくてね、文学評論家や大学教授、
そういう人たちにについても書かれてあります。おそろしく痛烈に。
たとえば、「現代作家の作品には希望がない」
という文学評論家の批判に対して彼女は、
「希望をもたぬ人びとが、小説を書くことはない。
それどころか、小説なぞ読みもしないと言ったほうが適切である。
彼らは、勇気がなくて、あるものを長いこと見ていられないのである。
絶望に至る道は、いかなる経験をも拒むことであり、
小説は、もちろん、経験を持つ一つの方法である」
って、言うんですね。
この意見に僕はおもいっきり同意なんですが、
これの裏には僕たち一般読者にむけられた、
彼女が提示する読書論や批判が盛り込まれていて、
現に彼女はね、ほかのページでですけど、
真剣な小説家は、その才能を大衆にあわせてつかうべきではなく、
アホな読者のためにその小説の質を落とすべきではないが、
残念なことに、だいたいの読者はアホだ。
いや、ほんまにすいません。堪忍してください。
とね、つい謝ってしまいそうな勢いのことを彼女は言ってるんですよ。
まさに舌鋒鋭いんですが、それもこれも、
彼女の文学に対する真剣な思いがあってこそなのでね、
なんやいろいろ興味深かったです。ありがとうございます。

今日は夕方に、『THE VERY BEST OF ごっつええ感じ 3』の、ディスク3を観ました。
ディスク3には「とかげのおっさん」の7話目から18話目までが一挙収録。
うぅん。僕は、このあとのほうの「とかげのおっさん」はあんまりやったですね。
いや、普通におもしろいことはおもしろいんですけれど、
あの、前期とかげのおっさんのエモさっていうのがまったくなくなってて、
ただのおもしろいコントになっちゃってるんですよね。
前期のやつはあまりに完成度が高くて、
ちょっと複雑な心理状態をつくりだすコントでしたから、
多分、一般には受け入れられ難かったんでしょう。
僕なんかめちゃめちゃ笑いながら、
あまりの悲哀に裏で泣きそうになってましたもの。
いや、でも普通のコントとしては十分におもしろいですし、
もちろん完成度も高いんですけれどね。
すごく個人的には、「子づれ狼」のぐだぐだっぷりがね、
すごくおもしろかったりもしました。


12月9日

今日は歯医者さんにまたもや行ってたわけで、
歯を削られるのにも、だんだんなれてきました。
もう、神経殺して抜いてあるので、まったく痛くないんですね。
でね、最近『THE VERY BEST OF ごっつええ感じ』を良く観てることもあって、
帰りに本屋さんで松本人志さんの『図鑑』を買ってきました。
いや、これね、昔これが発売された当初に,
図書館かどっかで読んだことあるんですけれど、
買っておいても良いかなぁ。といきなり思って、電光石火で買っちゃったんですよ。
いやいや、おもしろかったですね。
松本人志さんが描いたイラストに
本人がその絵の説明をつけていくかたちになってます。
松本人志さんが描くだけあってね、
やっぱり普通のイラストではなくて、おもしろいですよ。
たとえば、新しいことわざの「カニの腕まくり」や、
新しい体位の「半笑位」などがあります。
カニの腕まくりっていうのはね、
カニが、絶対に食われへんぞってがんばって腕まくりすればするほど、
プリップリの身が露出して、相手の気をそそってしまう。
がんばればがんばるほど、わるい方向にいってしまうっていう意味のことわざらしいです。
半笑位というのは、48手をこえた50なん手目かの体位で、
男女ともに半笑いでする体位らしいです。
ちなみに、半笑いだけにチンポはたってないらしいですよ。
だからこそ笑っていられるんでしょうと。
そういうイラストがたくさん収録されてるうえに、
松本人志さんの絵自体がうまいですからね、
なかなかに良い図鑑にしあがっていると思います。
この『図鑑』のほかにも、本を勢いで5冊ほど買ってしまいました。
昨日、アマゾンで本4冊注文したばっかりだというのに。
あ、アホですね。


12月8日

今日は堺市まで家庭教師に行ってたほかは、
さしてなにも書くべきことはないんですけれど、
今日はいやに寒かったですね。
いや、今までが異常に暖かっただけで、
これが本来の12月なのかもしれませんが。
今年は夏もあんまりがんばらなかったのでね、
冬くらいはがんばって欲しいものです。
で、12月だというわけでね、
トップページにも書いてありますが、
そろそろ年賀状をつくらないといけない時期なので、
昨日の晩に、年賀状に使えそうな写真を探すために、
部屋の写真箱をひっくり返してたんですよ。
いや、最近はデジタルカメラで写真撮るほうが多いんですけれど、
そっちのほうには使えそうな写真がまったくなかったのでね、
35mmフィルムで撮った写真を見てたわけです。
昔からね、写真撮るの好きだったんですよ。
なんや知りませんけれど、普通の一眼レフも2台もってますし、
レンズもなんやぎょうさん持ってますしね。
中学生の時からアサヒカメラも毎月買ってましたしね。
おっさんみたいですけれど。
うぅん。やっぱり良いですね。普通の写真。
普通のフィルムで撮った写真を「銀塩写真」というんですが、
デジタルカメラとはちがいます。やっぱり。
僕もね、デジタルカメラ持ってて、
ここにのせてる写真は、全部デジタルカメラで撮ったものなんですけれど、
僕が思うにね、デジタルカメラで撮った写真はね、
写真とは言えないと思うんですよ。絶対に。
あれは、ただのデータです。
いくらきれいに撮れててもね、なんていうか、
正直僕はあんまりどうでも良いんですね。
っていうか、きれいに撮れて当たり前ですよね。
だって、デジタルカメラなんですもの。
1枚1枚に対する真剣と謙虚さの絶対的な量がね、
銀塩写真とデジタル画像のちがいなのかもしれません。
正直、デジタルカメラはデザインの材料をあつめるために買ったものでね、
写真機としての機能には、僕はまったく期待してないんですね。
しかしながら、やっぱりデジタルカメラのほうが軽いし、
なによりフィルムとか現像にお金かからないから、
やっぱりそっちばっかりつかっちゃうわけで。
その、なんていうか、シャッター切る瞬間のギリギリ感みたいなものをね、
最近ちょっと忘れちゃってるような気がします。
こういう風に撮れててくれって真剣に祈ることや、
現像に出してそれを受け取って封をあける時の緊張感とかも。
で、これはちょっとヤバいぞということでね、
先日、35mmフィルムを大量に入手したんですよ。
ISO400を20本と800を5本。
それですこし真剣に写真を撮ろうかなと考えてるんですけれど、
そんなことよりも、年賀状をつくれというわけでね、
今から年賀状つくります。
良い写真がありましたので。
トップページにも書いてあるとおり、
デザイン汚染的新春賀状がほしい方はね、
メールで住所、お名前など教えてください。
死に物狂いの勢いで、郵便局員さんが1月1日にあなたのお家までお届けします。

あ。あとね、デジタルカメラのことをボロカスに書きましたけれど、
別にデジタルカメラはきらいなわけじゃないですからね。
便利だと思います。本当に。
ただ、 写真とは言えないというだけで。
これからもバリバリつかっていきます。
ここにもアップロードしていきますよ。
しかしながらね、 あれですよ。
デジタルカメラへの最後の抵抗としてね、
撮った画像を加工してきれいに見せることだけはね、
僕は絶対にしませんけれど。それをやってしまうとね、
なんか色々とぐだぐだになっちゃいますから。


12月7日

いつ頃からかはわかりませんけれど、
鳩ってたくましくなりましたよね。
ちょっとくらい追いかけまわしたところで逃げないふてぶてしさというか、
自動車が目の前まで迫ってきても絶対にどかないくらいの、
インドの牛的な傍若無人っぷりを、
鳩たちはいつから身につけたんでしょうね?
今日もね、公園でゆるゆると煙草をすってる時にね、
目の前に鳩が4羽ほどおったんですよ。
なにを考えてるのか、なにも考えていないのか、
そこのところは僕にはわかりませんけれど、
彼らは僕が来てもまったく逃げる素振りもまったく見せずに、
うろうろ歩きまわってたんですね。
「あぁ。動物っていうのは元来、
もっと臆病であるべきとちゃうんかなぁ?のお?おまえら」
とか、僕がひとり思ってる時にですね、
どこかで自動車のクラクションが一つ、
プーッっと短く鳴ったんですね。
そんなにまぢかで鳴ったわけではなく、
音もあまり大きくはなかったんですけれど、
4羽の鳩のうちの2羽が羽根をひろげて逃げていきました。
空に逃げていく鳩を眺めながら僕は、
「なんや、おまえら。そないに大きい音でもないし、
逃げんでもええやろうに。まったくチキンやのぉ」
って思いつつ、のこった2羽に目をやり、
煙草を一口ふかく吸い込んだところでね、
「あ。ちがう。
いくらあいつらが逃げていったところで、
あいつらはチキンやない。鳩や。
チキンやなくて、あいつらは完全に鳩や」
ということに気づき、
そのあまりのアホらしさに、一人でちょっとクスクス笑ってしまいました。
いや、でも、なんかちょっとおもしろくないですか?
チキンな鳩。
ね?良く考えてみると、じわじわおもしろいでしょ?
チキンな鳩ですよ?
ほら。だんだんおもしろくなってきた。
チキンな鳩。

で、今日も夕方に 『THE VERY BEST OF ごっつええ感じ 3』の、
ディスク2を観てたんですけれどね、
いやぁ。おもしろかったですね。「とかげのおっさん」
これ、とかげのおっさんと普通の人間のやりとりを描いたコントなんですけれど、
すごく完成度がね、高いですよ。
すごくおもしろいんですけれどね、すこし悲しいお話です。
他者とのかかわりあいのなかで互いのあいだに生じる溝とか、
コミュニケイションというものがはらむ不確実性や、
それによって生じる誤解や軋轢といったね、
なんともエモいテーマなんですね。
コント全体にただようペーソスがね、もうたまりませんよ。
テーマがこんなテーマなんでね、このコントは、
別にとかげのおっさんじゃなくて普通のおっさんでも十分いけますし、
もっと言ってしまえば、コントじゃなくてドラマとしても成り立つんですけれど、
ここはコントとしてわかりやすいように、
とかげのおっさんにしているんでしょうね。いや、多分ですけれど。
で、このとかげのおっさん、全部で18話あるんですけどね、
ディスク2にはそのなかの6話目までしか収録されていなくて、
のこりはディスク3に収録されてるんですが、
今日はディスク2しか観ていません。
ディスク3はまた後日ということで。

designメニュー内のothersに、
絵を2つアップロードいたしました。


12月6日

今日はお昼に歯医者さんへ行き、
新しい銀歯を入れてもらいました。
新しい銀歯はやはりと言うか、なんと言うか、
まだすこし違和感があるのですが、
新しいものには常に違和感がともなうものであり、
違和感がなくなった時、それは新しいものではなくなるわけであって、
そこは甘受していこうかなと思った帰り道。
おかあさん。僕は強くなりました。

ごめんなさい。意味、わかりませんね。
で、夕方おそくに帰ってきて、
昨日もここに書いていたとおり、
THE VERY BEST OF ごっつええ感じ 3』のDVDを、
お部屋で観ていたわけなんですけれど、
残念ながら「とかげのおっさん」はまだ観ていません。
いや、ね。このDVDは3枚組になっておりましてね、
「とかげのおっさん」はディスク2と3に収録されていて、
僕はまだ1しか観れてないんですね。
っていうか、1だけで、もうおなかいっぱい。抱腹絶倒。
第3巻には「子づれ狼」が収録されておりました。
これ、殺陣のあとの決め台詞として、拝一刀と大五郎がたがいに、
「だいごろおぉ〜」
「ちゃぁ〜ん」
と、名前を呼び合う山場のところなのに、
二人は全然ちがうことを叫びあうっていうコントなんですけれどね、
このコントは、緊張と緩和をうまくつくり出していますし、
キャラクターの設定もすごく細かいのでね、
めちゃめちゃおもしろいですよ。

「大五郎カレーを食べて」
「ちゃんTシャツをもらおう」

いよいよ明日は「とかげのおっさん」ですね。

あ。
っていうかね、このまま今日の日記おわりそうな勢いでしたけれど、
ダメです。おわっちゃいけません。わすれてました。
昨日の夜にドン・デリーロさんの『マオ2』を読みおわったんです。
いや、忘れちゃうくらいおもしろくなかったわけとちゃいますよ。
この本、すこぶるおもしろかったです。
おもしろかったんですよ。確実におもしろかったんですけれどね、
この本、いかんせん表紙が、

こんなんでしょ?
なのでね、これ読んでるあいだはかばんにこれが入ってるわけでして、
だれかにこの本を見つけられる度に、
「いや、別にいきなり社会主義思想にかぶれたわけちゃうで」
と、説明しなきゃいけませんでした。
毛沢東は一つのシンボルとして登場するんですね。
群集をコントロールする指導者の象徴として。
この小説は「群集」というのが一つのテーマになってて、
群集と指導者、新興宗教の教祖、テロリスト、小説家との関係、
またこれらの互いとの相関関係を描いた小説です。
なんていうか、じわじわとおそろしくなってくるお話でしたね。
未来は群集の手に。


12月5日

なんかね、昨日から軽い風邪を患ってしまったみたいなんで、
今日は終日お家でまったりと、DVD観てました。
いや、一昨日くらいから慢性的な頭痛に見舞われてたんですけれど、
昨日までずっとパソコンの前で1日中お絵描きしてたでしょ?
だからこの頭痛も、多分寝不足から来るものか、
もしくは頭を酷使した末の知恵熱的ななにかかなぁ?
とか、のんきに思ってたんですけれどね、
どうもおかしいぞと。なにやら関節がだるいぞと。
それに必要以上に寒いぞと。え?風邪ですか?
っていうことに昨日の深夜に相成りましてね、
それで今日は静養しておったわけです。
おかげで、お昼すぎくらいから元気になりました。

で、なんのDVDを観てたかと言いますとね、
THE VERY BEST OF ごっつええ感じ 2 』を昨日買ったので、
それを観てたんですね。
いやぁ。おもしろかったですね。たまりませんね。
これね、DVD3枚組なんですけれど、
1枚観たあとに、続けざまに2枚目いけないんですね。
なにしろ、おもしろすぎて疲れてしまいますから。
すごく笑いが濃いです。素晴らしい。
これのおかげで僕は元気になったという噂もちらほら。
この2巻にはね、アホのやくざの二人組が借金の取り立てにやってくる、
『兄貴』がほとんど全部収録されています。
おもしろいですよ。兄貴。

「お前がもしも掃除機ならぁ、
コード全部引っぱり出して、赤いテープ出したろか。こらぁっ」

でね、まことに愚かしいことに、これと一緒に、
THE VERY BEST OF ごっつええ感じ 3
も一緒に買ってしまったので、それも明日にでも観ようかなと。
3にはね、『とかげのおっさん』がほとんど収録されてるんです。
うん。とても楽しみです。

キムチが冷蔵庫に大幅に残っていてね、
ちょっとやばいなぁと。つかっちゃわないとあかんよなぁと。
こんなキムチ見つかったら、きっと万景峰号に乗せられちゃうなぁと。
よろこび組に入れられちゃうなぁ。
将軍様。一騎当千、一騎当千、マンセー。
ということでね、って、どういうわけか一向にわかりませんけれど、
DVD観て元気になったことですし、ちょっと濃いものを食べても、
もう大丈夫だろうと、晩ご飯にはキムチとキノコのスパゲッティを。


(画像をクリックで拡大です)

これ、なんや初めてつくってみたんですけれど、
なかなかにおいしかったですよ。
マヨネーズをぶりぶりかけていただきましょう。

で、全然関係ないですけれど、
今日の夕方に撮った、空とマンション。


(画像をクリックで拡大です)

いや、これ、近所のマンションなんですけどね。
ホントはクリーム色の壁なんですけれど、
西日で色がちょっと濃く出ちゃってますね。
露出補正はマイナス2/3で。


12月4日

いやぁ、なんとかデザインのお仕事おわりましたよ。
デッドラインが今日の午後9時で、
絵が全部完成したのが午後8時30分という、
まったくもって素晴らしいギリギリっぷりでしたけれど、
なんとかね、おわらせて納品してまいりました。
疲れましたね。さすがに。

さあ、なにしましょうかね?
ここ3日間くらい眼精疲労のために、
ろくすっぽ読めていなかった本の続きでも読んじゃいましょうかね?
とりあえず、今部屋でかかってる、
Kill Billのサントラを止めることからはじめましょうかね?
いや、良いCDなんですよ。良いCDなんですけどね、
絵を描いてる時にずっと聞いてたので、
これを聞いてると、なんかあせってきちゃうんですよね。
あぁ。時間が足りない。時間が。
もっとベジェ曲線をひかないと。いっぱいデザインしないと。
っていう、非常に馬車馬的な心境になっちゃうんですね。
なんていうか、予期せず子供をはらませてしまった、
アホの男の心境といいますか、
とりあえず、いっぱいいっぱいになるのでね、
CDをかえるところからはじめます。
それからなにするかは、おいおい決めていこうかなと。
夜は、これからですので。
圭子の夢は夜ひらく。


12月3日

はい。みなさん、こんばんは。
今日も家で引きこもってお絵描きしてる宮本圭です。
昨日もね、本当におそい時間まで絵を描いておったわけで、
普通に12時間近くパソコンを眺めておったわけなんですけれど、
やっぱり時間というのはいくらあっても足りないもので、
今日もきっとそうなるんでありましょうね。おそらく。
正直、ここを更新している時間すら惜しいっていう感じなんですけれどね、
まあ、1日のうちでここを更新してる時間がね、ベタに唯一の休憩時間なんでね、
それくらいは勘弁してもらおうかなと。
みなさんにも近年まれに見るブラック企業、
デザイン汚染の実情をお知らせしようかなと。
あれ?そんなんいりませんか?

っていうか、あれですね。
あまりに集中してパソコンに長時間向かいすぎると、
やっぱり目って、めちゃくちゃ疲れるんですね。
昨日、寝る前にすこしだけ本読もうと思ったんですけれど、
あれですよ。読めないんですよね。
つかれすぎてて。びっくりしましたよ。
あろうことか、2ページでやめて寝ちゃいました。

で、がんばる僕に先行投資ということで、
サウンドトラック盤『Kill Bill』と、
Let it be Naked』を一昨日買ったので、
『Kill Bill』のほうをMDに落として、
CDとMDで交互に聞きながらお絵描きしてるんですけれど、
いやいや、両方ともすごく良いですよ。
『Kill Bill』はめちゃめちゃテンション上がります。
もうね、ノリノリですよ。素敵です。カッコ良いです。
『Let it be』のほうも、良いですね。
なんていうか、地のビートルズっていう感じです。
"Long and Winding Road"と、"Across the Universe"が、
このアルバムのなかでは好きです。好感触。
いや、"Across the Universe"は、もともと好きなんですけれどね。
それに、このCD、めちゃめちゃ音が良いですよ。
音質がクリアなんですね。なんでやわかりませんけれど。

ということでね、またもやお絵描きの仕事に戻ります。
ただ今より、現場復帰いたします。
デッドラインは明日の午後9時。
え?もう24時間切っちゃってるじゃないですか。
あぁ。がんばります。なんとしてでも仕上げますよ。


12月1日から2日

昨日はお昼に、大阪へデザインのお仕事の話をしに。
まあ、普通にとどこおりなく1時間ほどお話したのち、家庭教師へ。
これもなんの問題もなく2時間こなしたあとで、
お家に帰るかと思いきや、長居へ。
久しぶりに会う人と、一緒に晩ご飯なんかを。
シドニーパラリンピックの時に、
なぜか僕みたいなもんを取材に来た新聞社のカメラマンの人とね、
今でも非常に仲良くしていただいていて、
たまにご飯を食べさせてもらうんですね。
昨日は焼き肉をごちそうになりました。ごちそうさまでした。
え?あれですよ?その人と僕は普通に仲良いだけですからね。
別に僕のパトロンとかとちゃいますよ。

で、今日はD社のサッカー大会があったんですけれど、
あのねぇ、今の僕はそんなん行ってる場合じゃないんですよ。
今ね、正直テンパッてます。ヤバいです。
なにがヤバいってね、昨日打ち合わせて来たデザインのお仕事。
もうね、これが大変なんですよ。ちょっとびっくりしちゃうくらい。
仕事量としては、まあ1週間くらいの感じの量なんですけれど、
なんとね、おどろくべきことに納品期日が明後日なんですよ。
ちょっとこれはヤバいぞと。あまりにもタイトすぎるぞと。
脳天気に玉蹴りなんてしてる場合じゃないぞと。
シドニー行ってて1ヶ月くらい学校休んだ時に、
「ミスター・ミヤモト。君が休んでるあいだに、
アサイメントが4つあったんだよ。みんなそれをもう提出済みなのだよ。
と、いうことでだね、君も来週までに4つ提出してくれたまえ」
と、最初の授業で真顔で外人の先生に言われて、
1週間で英文ペーパー4つ書いた時以来の衝撃です。
いや、これはフォルクス先生に言われたんとちゃいますよ。
フォルクス先生は仏陀のような先生なので。ある意味、即身仏ですので。

といわけでね、今日は1日中家に引きこもって、
お絵描きしてたわけなんですけれど、あれですね。
8月のおわりに英語の論文の翻訳してた時のような感じになってます。
ずっと座ってるだけなのにお腹はへるし、頭はすこし半煮えになるし。
あぁ。本当にこのお仕事、木曜日までにおわるんでしょうか?
いや、おわらせてみせますよ。がんばります。
僕のなかのなにを削ろうとも、このお仕事に心血をそそぎます。

はい。ここで超個人的私信。
昨日から今日にかけて僕に電子メールを送ってくださっているみなさん。
大変申し訳ないんですけれど、現在、お返事を書く時間すらままならない。
正直、そんなひまなんてないという状態ですので、
お返事は木曜以降ということで。ごめんなさい。