2月26日から28日
こんばんは。週末はここを放置プレイにしていた宮本圭です。
ええっとね、まえフリもなにもなく書きますけれども、
土曜日は映画を観にいっていたんですね。京都に。
『きみに読む物語』を観て参りました。
いや、あのね。僕はこういうしみじみとしてる(と、観るまでは思ってた。
じいちゃんとばあちゃん出てくるし)映画好きなんですね。
うん。そうだなぁ。まあまあだったですかね。
なんていうか、だれにすすめても、どこに出しても恥ずかしくない映画、
っていう感じですかね。素敵なシーンもいくつかあったしね。
で、この『きみに読む物語』
ストーリーはね、ある貧しいなりに希望をもった青年が、
大きな世界を見ようと船に乗るんです。航海に出るんですね。
その船上である美しい女性に出会います。
しかし、彼女は裕福な家の令嬢。しかも彼女には婚約者が。
とてもかなわぬ恋だと知りながらも、
ふたりは激しく恋に落ちます。
しかし、そんな矢先、ふたりを乗せた船は氷山に衝突し、
やがて船は沈む運命にって、
なんか明らかにちがう映画のストーリー書いてる気がしますけれども、
うん。あのね、これとおなじくらいベタです。
もうね、たまらんですよ。これ書いたの橋田寿賀子。
っていわれても納得できるくらいベタです。
たしかにストーリーはベタだけれども、
僕はベタな映画きらいじゃないし、そこは別に良いんです。
それは良いんだけれども、とりあえず、なんぼおおざっぱな設定やねん?と。
なんか、こう、ね。たとえば、主人公がこう、
女の子とややこしいことになろうって思うとします。
そのときに、その主人公は自分の領域っていうか、
テリトリー内でなんとかしようとするわけです。
これはなにも映画のなかだけじゃなくても、そうですよね?
『ハイ・フィデリティ』のロブ(だったよね?)は、
音楽という領域のなかでなんとかしようとしたり、
特にこれといってない人でも、自分のルール内でなんとかしていくわけです。
このルール、できる範囲を限定するのが、
まあ、映画でいう「キャラクター設定」ってやつですよね。
そんなもんあるかと。とりあえず、なんでもあり。
最初のほうで、あぁ。こいつはこういうやつなんやって思わせておいて、
あとのほうでは全然ちがう方法でって、これ、わかりにくいですね。
うん。あのね、たとえば、ジャッキー・チェンが上半身裸で、
機関銃乱射したらいやでしょ?つまり、そういうこと。
いや、たしかに最初のほうで、「なんでもありだよ」
みたいなセリフを言うので、それで良いのかもしれませんけれど、
オープニングではもっそい拳法つかってたのに、
「俺、実は銃器の扱いにも長けてるんだ」って言って、
ラスボスを機関銃乱射で倒すようなジャッキーを僕たちは観たくないわけです。
「なんでもありだよ」って言っちゃうのも、
実はどうしたものかと思いますしね。
ミステリで主人公の設定がIQ180っていうくらいやる気なくすわけですよ。
いや、けれども、そんなにわるくない映画ですよ。
ぐっと来るシーンもありますし、
ヒロインはキュートだし、 ナタリー・ポートマンさんに似てる。
主人公も男前で、ウィリアム・ボールドウィンさんに似てる。
最初に言ったとおりどこに出しても恥ずかしくない映画で、
僕はさっきマシンガン撃ちまくるジャッキーチェンは観たくないって言いましたけれども、
たとえばね、もしジャッキーがカンフーの達人やって知らなかったら、
マシンガン乱射しても、それはそれで楽しめるはずでって、
あー。もう、めんどくせえ。
こういうこと書くのいやだから、
ちがったふうに書こうと思ってたけど、めんどくさい。
つまり、映画を普段あんまり観ない人なら楽しめる映画かと思います。
言っちゃった。
もしあなたがこの『きみに読む物語』を観たとして、
そこそこ、少なくとも僕くらい楽しめたとしたら、
ぜひとも『ビッグ・フィッシュ』を観ていただきたいなと。
おんなじような感じの映画なんですけれども、
こっちのが断然おもしろいですよ。
そして、もしあなたがこの『きみに読む物語』を観ようと思っているのなら、
エンド・ロールがおわるまでに劇場の外に出てください。
っていうか、出たほうが良い。本当です。
とりあえず、ケミストリーは死ね。
今日一番書きたかった一文も書いたことだし、
いまからACミランとインテルのミラノ・ダービー観ます。
2月25日
ここ毎日サッカーのことばっかり書いていますが、
今日もサッカーのこと書きます。
今日は、バルセロナ対チェルシーを。
って言ってもですね、昨日までのアーセナル×バイヤン、
おマンチェ×ミランのように、情報遮断して真剣に観たわけではなく、
結果もゲーム展開も知ってのうえで、
しかも、後半なんてD社の直樹君と電話しながら、
適当に観ていたわけですけれども、
ううんとね、チェルシー守り倒してましたね。
守備堅い、ロッベン怪我したら途端につまらないサッカーをするのが、
ここ最近のチェルシーの芸風なわけで、
この試合も引きこもって守り倒してました。ベタ引き。
あんなサッカーをしろなんてことは絶対に言わないけれど、
アーセナルもちょっとくらいはチェルシーくらいのの守備を、ねえ?
キーパーの格からしてちがいますからね。ツェフとレーマンて。
ええっと、最近なにやらカミュさんの本をもう一度読んでみたり、
カミュさんのお師匠のジャン・グルニエさんの本を読んだりしている僕は、
今日はアルベール・カミュさんの『スウェーデンの演説』を。
もうね、こうなってきたら「アルベール・カミュ祭/きみがいた夏2ndシーズン」
になってくるわけですね。第2回の様相。
これはね、1957年カミュさんがノーベル文学賞を受賞したときに、
受賞記念としておこなった講演がおさめられている本なわけですけれども、
え、ええですね。これは。たまらん。
『ペスト』とか『反抗的人間』に代表される、
いわゆる「後期カミュ」って言われてるらへんのカミュさんの思想が、
もれなくぎゅうぎゅうと詰まっている本で、
たとえば、もしみなさんが、さっきここで言った、
「後期カミュ」の思想について手っ取り早く知りたかったとしたら、
『ペスト』や『反抗的人間』を読まなくっても、
この講演、わずか12ページのこの講演を読めば、
とりあえずはオーケーだろうと思います。
もう絶版になっちゃってて、なかなか手に入らないのが残念なところです。
僕はこの本、実は古本屋さんで買って、
しかも「アルベール・カミュ祭1stシーズン」中に買って、
それなのに、読まずにいままで放置プレイにしていたわけですけれども、
こんなことならもっとはやく読んでおくんだった。
『反抗的人間』2回も読まずに、この本読んでおくべきだった。
それくらいええですよ。
「作家の役割には必ず困難な義務がいろいろとつきまといます。
その性質上、作歌というものはこんにち、
歴史をつくるひとに仕えることはできません。
歴史を耐え忍ぶ人々に奉仕するものであります」
ここなんて、まるっきり『反抗的人間』の要約だしなぁ。
『ペスト』の基本理念もこういうことだしなぁ。
2月24日
CLのミラン対おマンチェ戦にルイ・コスタさんが先発出場とのことで、
今日は情報を夜まで遮断してさっきまで観てました。
ん。ミランかたいですねぇ。
アウェイでしかもシェフチェンコさんを怪我で欠いているにもかかわらず、
あのパフォーマンスはすごい。どっちがホームかわからんですよ。
っていうか、おマンチェ。ピルロさんをあんなに野放しにしててええんか?
いやぁ、僕はアーセナル好きですので、
正直、おマンチェのことはあれなんですけれども、
CLではやっぱりプレミアのチームにがんばって欲しかったり、
でも、ルイ・コスタさんがいるからミランにも勝って、
ルイ・コスタさんをたくさん見せて欲しかったりで、
だれと結婚しようか迷う栗田さんのような心境なわけですけれども、
僕の山岡さんはアーセナル、って、そんな話じゃなくって、
ルイ・コスタさんは決定的な仕事はしませんでしたけれども、
コーナーキックをほとんど蹴って、ええボールあげてましたし、
安定したプレイを見せて、まあ、80分にミランが先制してからは、
いつ交代させられるかハラハラしたものの、フル出場。素敵ですね。
しっかし、ホームで負けちゃったおマンチェはちょっと厳しいですね。
アーセナルと一緒くらい厳しい。つぎアウェイだし。
しかも、ミランがホームでガチガチに守って、
クソおもしろくないサッカーをして来るかもだし。あの監督ならやりかねん。
というわけで、『ビッグ・フィッシュ』を読みおわり。
これはね、先月だっけかな?観た、
ティム・バートン監督の『ビッグ・フィッシュ』の原作本でして、
映画のほうもかなりおもしろかったわけですけれども、
うん。こっちもすげくおもしろかったですよ。
どっちがおもしろいとは言えないし、どっちもおもしろい。
そもそも全然別のものとしてもオーケーですね。どっちも。
この原作をあの映画にしたティム・バートンは偉大だなと。
これはスピルバーグさんの『マイノリティ・リポート』と、
フィリップ・K・ディックさんのその原作『マイノリティ・リポート』
どっちもすごく良い出来で、どっちが良いとか言えない。
っていうか、あの短い原作をちゃんと一本の映画にした、
スピルバーグはなんやかんや言いながら偉大だっていうのと一緒ですね。
僕は普段は2種類コーヒーを用意していてね、
ひとつはモカ・マタリでもうひとつはヴェトナム・コーヒー。
まあ、どっちつくるかはその日の気分なんですけれども、
どうやらヴェトナム・コーヒーでアイスコーヒーつくれるらしい、
なんかけっこうおいしいらしいぞということで、
今日はヴェトナム・コーヒーでアイスコーヒーつくってみました。
こういうのってけっこう楽しいよね。はじめてなんか試すのって。
うん。おいしかったですよ。おいしかったです。
けどね、さみーよ。アイスつめてーよ。
こんなんじゃなんも身体休まんねーよ。
まあ、これは、夏ですね。
2月23日
おそらく、これよりも悲惨なこともあるんだと僕は思います。
これより最悪なことなんて、きっといくらでもあることも、
僕は決して否定はしません。
でもね、バイエルン・ミュンヘンにアウェイとはいえ、
1-3で負けってのはどうなんでしょうか?
しかも、アウェイの戦いかたとしてはそんなにまちがっていなかったし、
ポゼッションをあげて相手を押し込むシーンも何度かあったんですけれども、
とりあえず、あの失点のタイミングはまずい。
前半開始3分、ホームのバイヤンがノリノリで来てるときに、
10分くらい我慢すれば良いものをしょうもないミスで失点しちゃったのと、
後半開始まもなくに相手を完全に押し込んで、
僕としても、あぁ。これはもうすぐ点はいるな。って時間帯に、
またもやしょうもないミスで2点目て。
ポイントポイントで失点してたらそらアカンですよね。
たしかにね、ヴィエラさんがほぼパーフェクトに近いパフォーマンスで、
キャンベルさんのかわりに入ったシガンさんも、
珍しく安定したプレイをしていただけに残念です。
っていうか、バイヤン守備かてーよ。
もうね、ベルカンプさんがアウェイだからいないとかの問題じゃないよ。
レジェスさんはもうちょっとがんばってほしいです。
まあ、でも、結果的には1点返すことができて、
貴重なアウェイ・ゴールも得られましたから、
ホームではなんとかがんばっていただきたいですね。
ベルカンプさんも出られることだし。
アーセナルがクオーター・ファイナルにすすむためには、
ええっと、ホームで2-0で勝てば良いんですね。
セカンド・レグまでにキャンベルさんかえって来るかしら?
"In this job, you have good and bad nights.
This was a bad night - but I still have confidence in the quality of my players,
as well as their spirit and desire."
「この仕事(サッカーね。もちろん)では、良いときもあるしわるいときもある。
今日はたしかに良くない--最悪な夜だよ。
でも、私はいまでもプレイヤーたちを信じているよ。
彼らのスピリットや野望を信じているんだ」
バイヤン戦後のヴェンゲル監督のコメントです。
「わたしだけかね?まだ勝てると思っているのは」
「あきらめたら、そこで試合終了ですよ」
これは安西監督のコメントです。
2月22日
今日はとりあえずほかに書くこともあるんだけど、
僕が今日読みおわった本のことを書きましょうね。
まあ、この「ほかに書くこと」っていうのも、
ただちょっとまえに読みおわった本のことなんだけどね。
で、今日まさに読みおわったいま一番ホットな本っていうのは、
セーレン・キルケゴールさんの『おそれとおののき』ですね。
僕もかなりまえに書いた『あれか-これか』につづく本でして、
すこし説明いたしますと、「あれか-これか」っていうのは、
どっちがあれでどっちがこれかは知りませんが、
人生において美的生活と倫理的生活のどっちをえらぶのか?
(もちろん、あれもこれもっていうわけにはいかない)
という内容の本でして、僕は正直なことを申し上げますと、
この『あれか-これか』はあまりにもつまらなかった(誘惑者の日記は除く)ですので
「これか部分」つまり倫理的生活部分は全部は読んでおりませんが、
『おそれとおののき』はこの「あれか-これか」につづく第3の選択肢、
「それ」っていうのを提示するんですね。
まあ、「それ」っていうのは僕が勝手に言ってるだけですけれどもね。
で、「それ」、美的生活でもなく倫理的生活でもない第3の選択肢というのは、
信仰による生活なわけでして、
っていうかね、このキリスト教信仰による生活こそ、
キルケゴールさんの生涯とおした主題なわけで、
あのクソつまらない大著『あれか-これか』は、
これを書くための壮大なまえフリだったわけです。
この「信仰による生活」というのを聖書の創世記22章、
「アブラハム、イサクをささげる」という章によって言うていくわけです。
手元に聖書のない方はこのサイトで「創世 22:」って入れて検索してみてください。
信仰の父とかって言われてるアブラハムは、
100歳になってからやっとこさひとり息子のイサクを神から与えられます。
それは神が誕生を約束した子でアブラハムは彼を愛します。
しかしある日、神が「あなたが愛するひとり息子のイサクを山の頂上で殺し、
彼を焼き尽くしてそれを捧げものとしなさい」って、いきなり言うんですね。
それを聞いたアブラハムはイサクとともに山に登り、
黙々と彼を焼き殺す準備をします。
そして、まさにアブラハムがイサクに刀を降りおろそうとしたまさにその瞬間、
(ここでサスペンス調の効果音)
神がやってきて言うんです。もうええよと。
「あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。
あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった」
さあ、この偉大な信仰の父と言われているアブラハムのこの行動は、はたしてなんなのか?
たとえばね、これがアブラハムのお話ではなかった場合、
彼とおなじように自分の子供を焼き殺して神に捧げようとしたら、
これは倫理的側面からみて、偉大でもなんでもなく、
ただの人殺しできちがいなだけですよね?
でも、アブラハムの場合は神のために子供を捧げることすら偉大だと。
それはなぜか?それはね、彼がまったくの信仰の人で、
信仰による生活を送っていたからで、信仰にもとづいた行動は、
ときに倫理的範疇からでは赦されない行動(この場合は子殺し)ですら容認される。
信仰はときに倫理を超越すると、キルケゴールさんは言うわけです。
でもね、ここからがわりとややこしいところなんですけれども、
それでもこのアブラハムの行動は説明することができないし、
なぜなら信仰による行動は媒介することができない。つまり語ることができないと。
アブラハムの(信仰の)偉大さを説明することは到底できないし、
それを説明しようとした瞬間に、信仰は唾棄され地に堕する。
たとえそうであっても、語ることは不可能であっても、
アブラハムは偉大だし、信仰は倫理を超越する。
ってなことを言って、結局はそれでおわっちゃうわけですけれども、
まあ、それも良いでしょう。オーケーです。
「およそ語られうることは明晰に語られる。
そして、論じえないことについては、ひとは沈黙せねばならない」
これはウィトゲンシュタイン。
2月21日
スパム・メールというのは良く来るもので、
僕のところにもありがたいことに1日5通は、
美女とセックスし放題だの、
女子高生と会ってその日にセックスだの、
たいへん魅力的なお誘いのメールが来るわけですけれども、
今日リ−・メイリンさんという、
おそらく中国人と思しき人から来たメールは、
いつもとはちょっとちがう。
なにがちがうって、まあ、内容は普通のエロメールなんですけれども、
タイトルがおもしろい。もう、釘付け。
「あなた火を消して h しよう.」
なんかいたたまれない。
「シャチョサン、エチネー」
とかそういう、なんかそんな感じ。
なんかバブリー。80年代のにおいがする。
こんなメールをもらって僕はどうすれば良いんだ?
ちょっとおもしろいから、日記に書いちゃったじゃないか。
「オーケー。エッチするまえに、
とりあえず、日本語の勉強からはじめようか」
って返信することにします。
2月19日から20日
昨日はね、夜からイングランドのFAカップ、
日本でいう天皇杯みたいなのがありまして、
先週はアーセナルの試合の放送がなかった(しかも、
ひっさしぶりに5-1とかで大勝)のでね、
楽しみに観てみたわけなんですよ。
この冬にとった新戦力の右SBのエブエさんも見れるし、
今週ミッド・ウィークのCLバイヤン戦はアウェイなので、
明らかにベルカンプさんはこのFAカップがんばるだろうし、
ヴィエラさん、アンリさん、キャンベルさんなんかはお休みだけど、
相手はシェフィールド・ユナイテッドっていう下部リーグのチームなこともあって、
お酒でも飲みながらゆっくりと観ましょうね。
それから更新しちゃいましょうね。
なんて余裕ぶっこいてたわけですけれども、
もうね、どうでも良いんです。
更新なんか今日は放置プレイです的な試合結果だったもんで、
昨日は更新せずにひとり陰々滅々としてたわけです。
1-1でリプレイって。
今日はね、かねてから調子がわるくって、
修理に出していたオーディオ・コンポがなおったと、
近所のコジマデンキからお電話をいただきましたので、
なおったコンポを受け取りに。
都合1ヶ月(CDかからなくなって放置プレイにすること2週間、
修理期間にさらに2週間)ぶりにまともになったコンポで、
僕がはじめて聞いたCDはMartha Reeves & The Vandellasの、
"Come & Get These Memories / Heat Wave"の、
豪華2イン1CDでした。
いや、特別このCDがってわけじゃないんだけどね。
2月18日
アルベール・カミュさんの『ペスト』をまたもや読んだ僕は、
ジャン・グルニエさんの『孤島』を読みおわり。
このジャン・グルニエさんはカミュさんの高校のときの先生で、
いうなれば孫悟空の亀仙人にあたる人でね、
「この小さな書物を道でひらいてから、
最初の数行を読んだところでそれをふたたびとじて、
胸にしっかりおしつけ、見る人のいないところでむさぼり読むために、
自分の部屋まで一気に走ったあの夕べにかえりたいと思う。
そして、いまはじめてこの『孤島』に近づく未知の青年を、
私はうらやむのだ、にがい思いをこめないで、
----あえていうならば、私はうらやむのだ、熱い思いをこめて…」
っていう序文を、
カミュさんはこの『孤島』のために書いてるくらいなもんなわけで、
本当にこの『孤島』はカミュさんの言うとおり、
「小さな書物」で、しょうみ120ページくらいしかございません。
その気になれば、「むさぼり読」もうと思えば、
おそらく1時間くらいで読みおわっちゃうかと思います。
この本はいくつかのエッセイがあつめられた本でして、
なかには5ページかそこらでおわっちゃうようなものもあるんですけれども、
僕は、カミュさんのようにむさぼり読むことはせず、
その5ページがおわるとそこでぱたりと本をとじ、
のこりはつぎの日のために(それこそ後ろ髪を引きちぎられる思いで)
とっておいたりしていたわけですね。
なんにせよ、むさぼり読むには僕にはもったいなさすぎました。
「『孤島』を発見したころ、自分でもものを書きたいと望んでいた、と私は思う。
しかし、ほんとうにそうしようと決心したのは、
この本を読んだあとでしかなかった、
ほかの本もそうした決心に貢献した。
だが役目がすむと、それらの本を私は忘れてしまった。
ところが、この本は、読んでから20年以上経ったいまも、
ずっと私の内部に生きることをやめていない」
らしいですよ。カミュさんが言うに。
いや、ええですよ。ほんとうに。
2月17日
今日も昨日にひきつづき、
っていうか、このパッケージは恥ずかしいだろう?特集です。
ごめんなさい。そんな特集、
僕はやる気ありませんので、今日でおわりです。
というわけで、今日はドストエフスキーさんの『白夜』のことを書こうかなと。
あのね、この本はドストエフスキーさんが27歳のときに書いた小説で、
「感傷的ロマン」というやや疲れ気味の団地妻的なサブタイトルがついていますとおり、
まあ、いささか感傷的にすぎるきらいはあるし、
ドストエフスキー的な小説ではまったくないのですけれども、
普通に男の人と女の人が愛だの恋だのいう小説で、
すごく短いですし、すごく読みやすいかと思います。
ドストエフスキー的なものがうすいしね。
が、なんにせよ、表紙がおかしい。恥ずかしすぎる。

なんなんだ?これはと。
完全に官能小説の表紙やないかと。
この表紙で、しかもタイトルが『白夜』ときた日にはね、
完全に中身も官能小説やないかと。
『白夜〜〜眠れぬ劣情〜〜』とかいう副題がついていてもおかしくないわけですよ。
そりゃあ、僕もね、本買ったときに店員さんに、
「カバーおつけいたしましょうか?」
って聞かれて、
「うん。この本にはつけなくても良いけど、
僕がいまもってるこの本にカバーつけてもらえますか?」
って言ってしまうわけですよ。
僕はこの『白夜』は古本屋さんで買ったんですね。
で、そのあとに普通の本屋さんで本買ったときに、
この本にだけカバーつけてもらったわけです。
店員さんは表紙を見て、そしてちらっと僕を見るわけですよ。
うんこを見る目つきで僕を見るわけですよ。
「いや、あのね、ちゃんとした本なんですよ?
まともな本なんですけれど、ドストエフスキーだし。
でも、ちょっとこの表紙は恥ずかしすぎる。
絶対に外で読めないですからね」
「そうですねぇ。これはちょっと恥ずかしいですねぇ」
って言った女性の店員さんは、
作者を見て官能小説ではどうやらないらしいと納得してくれたみたいでした。
この小説、この表紙じゃなければ、
正直、いまの8倍くらいは売れてると思います。
2月15日から16日
ヤバい。もう、我慢できない。
今日は書くこと、書かなければならないことはたくさんあります。
読んだ本でまだここに書いていない本は3冊もたまってるし、
昨日にいたっては、僕は京都に行っていました。
でもね、そんなこともうどうでも良いんです。
読んだ本が3冊たまっていようと(それはいつか、
なにも書くことがないときに書くことにしよう)、
僕が昨日京都で女の子と会ってようと(今日くらいは僕の個人的生活を、
秘密のまま保っておいても良いだろう?ね。)
そんなことはどうでも良いんです。
今日僕が書くのは『働くおっさん人形』というDVDについてです。
これはね、松本人志さんが5人の普通のおっさんにインタヴューしたり、
「〜〜をやってみてください」と、
たとえば、顔面でサランラップを破らせたりするDVDです。
まずは5人それぞれ個別にインタヴューしていくんですけれども、
『プロジェクトX 』的なことにはまるでなってなくて、
インタヴュアとしての松本人志さんは決しておっさんには歩み寄らず、
質問に答えていけばいくほどおっさんたちは孤立していくんですね。
もうね、たまらんですよ。リアルとかげのおっさんです。
もうね、エモすぎます。正直、このインタヴュー、
おもしろいことはおもしろいんですけど、
かなり痛々しい(そこはとかげのおっさんと共通ですね)ので、
観るのとちゅうでいやになっちゃう人もいるかと思いますけれど、
僕は言いたいです。お願いだから最後まで観てほしいと。
それぞれのインタヴューのあとに、
5人全員が一同にあつめられて(もちろん全員初対面)ね、
そこでもやっぱり、あいうえお作文とか、
怖いものしりとりとかやらさせられるわけですけれども、
もうね、圧巻です。最終回超ヤバい。
僕はこのDVDを昨日の夜中に観ていましたので、
ご近所さんのことなんかも考慮して、
ヘッドフォンかぶって観ていたわけですけれども、
真夜中にひとりで抱腹絶倒なわけですよ。
静かに観るためにヘッドフォン?んなもん、なんの効果もあるかと。
おなか痛くなるくらい笑いました。気が狂うかと思った。
そんなわけでですね、この『働くおっさん人形』激烈におもしろくって、
収録時間も190分とヴォリュームもかなりあって、
値段はまさかの3000円となっておりまして、
かなりおすすめなわけですけれども、
内容が内容ですし、パッケージもね、こんなんなんですね。

エロビデオかと。まあ、これも良いでしょう。
松本人志さん自身、
「これはおっさんをつかったAVだ」って言ってるらしいし、これはまあ、良いです。
でもね、これだけは言っておきたい。
僕はこのDVDを中古で買いました(2000円)ので、
中古CDや中古DVD買うと、すべからくレジで盤面チェックしますよね?
レーザー面に傷がついてたりしないかどうかチェックするわけです。
レジのおねえちゃんの目のまえで。
それにしても、このプリント面はあまりに恥ずかしすぎるだろう?
レジのおねえちゃんも、
「盤面はこれで…(ちらっとディスクを見る)……よ…よろしいですか?」
ってなるわけですよ。絶対これ12月のおっさんの裸だし。
2月14日
「俺は神を認める。----われわれにはまったく測り知れぬ神の叡智も、
神の目的も認めるし、人生の意味や秩序も信じる。
われわれがみんなその中でひとつに融和するとかいう、
永遠の調和も信じる。----そのほかいろいろと無限に信じるよ。
----ところが、どうだい?結局のところ、俺はこの神の世界を認めないんだ。
それが存在することは知っているものの、まったく許せないんだ。
----俺は神の創った世界、神の世界なるものを認めないのだし、
認めることに同意できないのだ」
これね、ちょっとまえに読みおわった『カラマーゾフの兄弟』の、
次男イワン君が言うセリフです。
なぜに彼は神の創った世界を認めないのか?
もし子供たちの苦しみが真理を買うのに必要な苦痛の総額の足し前にされたのだとしたら、
俺はあらかじめ断わっておくけど、
どんな真理だってそんなべらぼうな値段はしないよ」
らしいです。ええっと、これはね、
「われわれがみんなその中でひとつに融和するとかいう永遠の調和」
それがたとえばやって来るとして、
そのために多くの人間の苦痛が必要なのだとしたら、
まあ、それもしかたのないことなのかもしれない。
でも、苦しみを受けた、たとえば殺されたりした子供はどうなるんだ?
子供を殺した殺人者とその母親が抱擁をかわし、
「主よ、あなたは正しい」ということが神のもとであったとしても、
だれがいったいその子供の苦痛を、子供の涙を償うのだ?
世界の調和に子供の苦痛を必要とするなら、
そんな世界はファック・オフだ。
ってことなんですね。超おおざっぱに言えば。
「認識の世界を全部ひっくるめたって、
<<神さま>>に流した子供の涙ほどの値うちなんぞありゃしない」
そして、あのね、去年の夏くらいに僕は、
「アルベール・カミュ/サルトルにいじめられました祭」という、
たいそう陰気な祭をひとりやっていて、
カミュさんの本ばっかり集中的に読んだりしてたわけですけれども、
そのなかの『ペスト』で、まあ、これはある街がペストの猛威にさらされ、
住民がバッタバッタと死んでいくお話なんですけれども、
「遊蕩児が雷電の一撃を受けることは正当であるとしても、
子供が苦しむということは納得できないのである。
そして、じつに、この地上におけるなにものも、
子供の苦しみと、この苦しみにまつわるむごたらしさ、
またこれに見い出すべき理由というものほど、
重要なものはないのである」
こういうのがあるんですね。
これはペストにおかされて苦しんで死んだ子供のことを言うてるわけです。
というわけで、アルベール・カミュさんの『ペスト』読みおわり。
「子供たちが責めさいなまれるようにつくられたこんな世界を愛することなどは、
死んでも肯んじません」
2月13日
今日はほかの本のことを書こうと思って、
それに関するリンクなんかも準備したんだけど、
いまになって別の本のこと書きます。だって長くなりそうなんだもの。
ええっと、とりあえずですね、村上春樹さんの、
『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』読みおわり。一瞬で。
これね、タイトルのとおりウィスキーの本でして、
ムラカミさんがおいしいウィスキーを飲みに、
アイルランドとスコットランドに行く本です。
それで、ムラカミさんはウィスキーを飲み、
ムラカミさんの嫁は写真を撮るわけですね。
うん。この本ね、なんで一瞬で読めたかっていうと、
ページ数もわずか120ページあまりとすくなく、
その半分くらいが嫁の写真が載ってるからなんですね。
旦那が文章を書き、嫁が写真を撮る。
まあ、こういうことになっておって、30分足らずで読めました。
うん。僕はね、そんなにお酒を飲まないので、
お家にはジン・トニックをつくるときのタンカレーと、
冷蔵庫のなかに缶ビール、しかも3ヶ月前くらいに、
もしかしたら飲むかもだとか思って6本買ったんだけど、
いまだ6本飲みきれていない、
むしろ3本くらいまだのこってるビールくらいしか置いていないんですけれども、
そんな僕でもウィスキーを飲みたくなりますよね。やっぱり。
「もし僕らのことばがウィスキーであったなら、
もちろん、これほど苦労することもなかったはずだ。
僕は黙ってグラスを差し出し、あなたはそれを受け取って静かに喉に流し込む。
それだけですんだはずだ。とてもシンプルで、とても親密で、とても正確だ。
しかし残念ながら、僕らはことばがことばであり、
ことばでしかない世界に住んでいる。
僕らはすべてのものごとを、何か別の素面のものに置き換えて語り、
その限定性の中で生きていくしかない。
でも例外的に、ほんのわずかな幸福の瞬間に、
僕らのことばはほんとうにウィスキーになることがある。
そして僕らは--少なくとも僕はということだけれど--
いつもそのような瞬間を夢見て生きているのだ。
もし僕らのことばがウィスキーであったなら、と」
これはね、前書きとしてムラカミさんが書いたものなんですけれども、
これは、ヤバいです。おそろしくたまらん文章ですね。
なにか自分の好きなものに関して、
こういうことが書けるのはマジですごい。ヤバい。
ここの「ウィスキー」をなんにかえたって、
きちんと成立するところもすごい。
アーセナル観てぇ。
2月12日
昨日の夕方に、
これもまた近所のレンタルビデオ屋さんには置いていなかった、
『エレファント』という映画を。
「エレファント・マンならありますけど」
って店員さんに言われまくり。
これはね、マイケル・ムーアさんの『ボウリング・フォー・コロンバイン』とおなじく、
コロンバイン高校銃乱射事件を題材にした映画でして、
銃撃が起こるまでの過程、未曾有の銃撃事件が起こった日、
その高校の生徒たちはいったいどんな1日を送っていたのか?
っていうね、銃撃が起こるまでの1日を丁寧に追っていくんですね。
で、まあ、やっぱりその日もごくごく普通の1日だったわけでして、
ある生徒は学校に遅刻して校長室に呼び出され、
ある生徒はガール・フレンドと休み時間におしゃべりをし、
ある生徒はカフェテリアでいつもの友達とご飯を。
うん。ふつうだね。 なんの代わり映えもしない、
楽しいのかなんなのかわかんないけど、
ごくふつうの1日の、はずだったんですよね。
でも、その日、銃をもった生徒がおなじ高校の生徒を次々と撃ち殺し、
日常は破壊されてしまいます。
ヤバい。超良い映画でした。
だてにパルムドールとっていません。
最初にも言ったとおり、この映画の大部分は、
フィルムの長回しで(めちゃめちゃ1シーンがながいです)
事件が起こるまでの1日の様子をただ淡々と追っていくかたちになってるんですね。
そのなかには事件の被害者になってしまった生徒、
銃を手にとった生徒、事件から生きのこった生徒も全部含まれていて、
その3者を隔てる境界線は果たしてどこにあったのか?
っていう映画です。映像も超美しいですし、
シークエンスごとにきっちりまとまっていますので、
興味のある方は観てもいいかと思います。
っていうかね、 『ボウリング・フォー・コロンバイン』よか良いですよ。
今週はスカパーさんでアーセナルの試合やってくんないので、
しかたなく、いまリヴァポーとバーミンガムの試合観てます。
アーセナル観てぇ。
2月9日から11日
おひさしぶりです。宮本圭です。
実はね、先に言っておきますと、
一昨日も昨日もけっこう似たような日だったわけですけれども、
オーケー。とりあえず、一昨日のことから。
一昨日はね、高校に行ってたんですね。大阪の。
「今度な、俺、高校に行くことになってん」
って、女の子のお友達に言ったりしてみると、
「ふぅん。圭ちゃん、ビデオカメラ持ってたっけ?
次の日の新聞たくさん買わなくちゃ」
などとひどいことを言われたりしていたわけですけれども、
アホかと。だれが連続盗撮魔やねんと。
いやいや、あのね、一昨日は高校に講演っていうか、
授業というか(どっちでも一緒やね)まあ、
お話をしてきたわけですね。僕が、ですよ?
で、それをまたお友達に説明しますと、女の子のお友達は、
「ふぅん。なんで圭ちゃんなん?
こんな危険極まりない子を高校に呼ぶなんて」
と言い、男の子の友達は、
「ふぅん。なんでおまえなん?
なあ、講演とかどうでもええから、合コンしよや」
と、後半部分は好き勝手なことを言いながらも、
前半部分はみないちようにおなじようなことを言われ、
うん。僕もそう思う。
だってね、そこの高校では2学期から福祉体験学習ということで、
障害者の方や高齢者の方について、まあ、福祉ですよね。
福祉について勉強して、点字を実際に読んでみる授業をしたり、
施設に実習に行ってみたりしてっていう、勉強をしてらっしゃったんですね。
うん。ここまではすごく良いね。良い授業だ。
で、その半年間勉強したことのまとめとして、
だれかに生徒さんのまえで講演してもらおうと。
で、僕だと。宮本圭君だと。
ええっ?おかしい。絶対に人選まちがってる。
今度高校に行くねんって言っただけで、
お友達から監禁されそうになったんですよ?
その日は家から一歩も出さないからと真顔で言われたりするんですよ?
行くなら俺を倒してから行け。もうね、原哲也かと。北斗の拳かと。
いやいや、ちゃんとやってきましたよ。
きっちり45分間しゃべってきてやりました。
わりとまともなことも5分くらいは言ったしね。
で、昨日はひきつづいて小学校に講演に。今度は京都。
2日連続ですね。それをお友達に言ってみますと、
「ちなみに次の日も講演やねん。今度は小学校」
「ふぅん。どうでも良いけど、
高校生よりやっぱり小学生のほうがやっぱりええわとか、
帰ってきてから言わんといてや」
アホかと。だれがロリコンやねんと。「やっぱり」ってなんやねん?と。
いやいや、こっちもがっちりやって参りました。
全然打ち合わせもなにもなしで、
っていうかね、11時30分までに来てくださいねーとか言われてたので、
11時25分に行って、授業は何時からですか?って聞いてみたら、
11時35分からですなんてことを言われたりして、
そんな状態のなかで、
「ええ、じゃあ最後に、みんな6年生でもうすぐ卒業なので、
卒業する君たちへということで、なにかメッセージを」
とか言われたときはどうしようかと思いましたけれども、
そのへんもそつなくわりとええこと言うたり、ね。
うん。6年生ともなると、だいぶ話すの楽ですね。
小さくなればなるほどむずかしいです。ほんとに。
お昼にいつもどおり給食もいただいて、
そもそもね、昨日行ってた小学校の6年生の担任の先生が、
僕のお友達のお母さんでもあって、
それで昨日僕はお話をしに行くことになったわけですね。
で、その先生(6年3組)に夕食もごちそうになってしまいました。
給食もいただいたのに。焼き肉山盛りいただきました。ごちそうさまでした。
ええっと、最後に。ナベ君へ超個人的私信。
CD5枚買うたった。ケッケッケ。
2月8日
今日は夕方に、僕ん家の近所のレンタルビデオ屋さんを4軒も探して、
やっと借りて観た『バンドワゴン』っていう映画を。
これね、「サーカス・モンキー」っていうバンドの結成から、
まあ、ぼちぼち人気出てくるまでの映画でして、
ストーリーは超ベタ。超サクセス・ストーリー。
バンド結成して、ライヴして、ツアーに出かけて、
そこで大物プロデューサーの目に止まって、
でも、バンド内でいろいろ問題が持ち上がって(女性関係とか、
まあ、そこもベタなところです)解散の危機に瀕し、
それでも俺たち、音楽が好きだ。このバンドは最高だって、
もうね、なにも書くことない。ストーリーは中学生でも書けます。
むしろ赤松健でも書けますね。
でもね、この映画のええところは、
バンド・メンバーそれぞれのキャラクターがおもしろくって、
センスは抜群だけど、シャイで人前で歌えないヴォーカル、
四六時中ラリパッパで釣りが趣味なギター、
ベグビー(トレスポ観たことあります?)みたいに恐ろしく喧嘩っぱやいベース、
無駄におしゃべりでマザコンのドラム。
ね?おもしろそうでしょ?そんな変態がいっぱいのバンドが、
これもまた変人のマネージャーと一緒に売れていくお話。
それに音楽もカッコ良いですし、
サントラがもう売っていないのが残念なところです。
あー。あとね、こういう音楽をモチーフにした映画って、
ところどころに音楽ネタがはさまってるのが僕としてはうれしかったりするんですけれども、
それがちょっと物足りなかったかなぁ。
「サーカス・モンキー」のライバル・バンドの人が、
やってる音楽はギタギタのへヴィー・ロック(ジャケット黒い、あれです)なのに、
やたらビートルズの歌詞やメンバーの言ってたことからの引用をいっぱいするのはね、
けっこうおもしろかったんですけどね。
いやいや、あんた、黒皮のチョッキ着てますやんと。
歌詞、マザーファッカー、マザーファッカー、
マザーファッカー、ウォオーとかばっかりですやんと。
「あいつの頭のなかは、タンジェリンの樹、マーマレイドの空だけどな」
とかね。これはね、あのいつもラリパッパなギタリストのことを言ったことなんですけれども、
あ。そうそう。そのいつもラリパッパなギタリストが、
中島らもさんにすこし似てるのも、この映画のええとこですよね。
2月7日
今日は家庭教師に行ってたわけで、
ええっと、べつになにもありません。ほんとに。
生徒さん家の5歳の女の子が水疱瘡にかかってたくらいのもので。
2月6日
普段ゲームを全然しない僕が、
アマゾンさんで予約してまで買っちゃうくらい好きな『メタルギア・ソリッド』
僕が唯一まともに、真面目に取り組むゲームで、
まあ、それもとうの昔に全部クリアしちゃって、
それでもまだいまでもやってるくらいなわけです。
この『メタルギア・ソリッド』はね、
まえにも書いたと思いますけれども、
「ステルス・ゲーム」と呼ばれていてね、
いかに敵に見つからないようにゲームをすすめていくかっていう、
おおよそアクション・ゲームに相応しくないゲームでね、
敵に見つかりそうになったら、物陰に隠れたり、
土管のなかに潜り込んだりして、その場をやり過ごすわけです。
まあ、かくれんぼですよね。
でね、その敵に見つからないように隠れるためのアイテムとして、
このゲームには段ボールというものがありまして、
敵に見つかりそう。隠れるところもない。ヤバい。
ってなった場合、段ボール被ってジッとしてれば、
だいたいの場合は見逃してくれるなりなんなりするわけです。
段ボール、重要なアイテムですね。
それでですね、この『メタルギア・ソリッド』
いまでは3まで発売されておりますが、
段ボールは1からずっとある定番アイテム(ファッション誌みたいだな)で、
主人公はすべからく段ボールを被ることになるわけですよ。
で、こちらが段ボールを被ったときの主人公の感想。これは3の場合。
「この箱を見たら無性に被りたくなったんだ。
いや、被らなければならないという使命感を感じた、
と言うほうが正しいかもしれない。
そしてこうして被ってみると、
これが妙に落ち着くんだ。
うまく言い表せないが、いるべきところにいる安心感と言うか、
人間はこうあるべきだという確信に満ちた安らぎのようなものを感じる」
愛していますね。段ボールを愛していますね。
1から3まで段ボールに対する愛情は途絶えることなく、
連綿と受け継がれているのですね。
というわけで、安部公房さんの『箱男』を読みました。
いやいや、あのね、この『箱男』もタイトルどおり、
段ボール箱を頭からすっぽりと被った男のお話で、
この「箱男」がはじめて段ボールを被ったときの感想はこちら。
「箱のなかは暗く、防水塗料の甘いにおいがした。
なぜか、ひどく懐かしい場所のような気がした。
いまにも辿り着けそうで、手の届かない記憶。
いつまでもそのままでいたかった」
はい。愛していますね。段ボールを愛していますね。
2月5日
なんでおっぱいとか書いた次の日はアクセスやたら多いんだ?
まったく。いつもいつも。
こんばんは。宮本圭です。
今日は書くことないわけじゃない。っていうか、いっぱいある。
本のことも映画のことも、
なんだったら今日一日のことだって書くことができる。
でもね、今日は無理。もう、無理。
いまからアーセナルの試合なんですね。
今日はアストン・ヴィラ戦です。
水曜日のおマンチェ戦に負けてる(ホームで2-4。なんてスコアだ)だけに、
今日は勝っていただきたい。
なにがあろうと勝って、よしんば試合中になにがあろうと、
ガッツリ勝ちまっせっていう気概を見せていただきたい。
あー。キャンベルが怪我だからセンター・バックどうなんだろ?
シガンとホイトの悩殺ディフェンス・ラインですか?
やべえ。なんて悩ましいセンター・バックだ。
CB秋田的な悩ましさだ。センデロスでますように。
2月4日
みなさんがなにか映画を観ようと思ったとき、
なにに、どんなところに重点をおいた映画を観ようと思いますか?
スカッとするようなアクション?
スタイリッシュな映像?
僕が映画を選ぶ基準はだいたいにおいて、
良く練り上げられたストーリー、
もしくは斬新であっと驚くようなプロットなんていうものに重点をおいた映画が好きなわけで、
それはジャンルでいうならドラマかサスペンスなことになってくるんですね。
でも、僕は言いたい。
この世界にはおっぱいのために観る映画もあるのだと言うことを。
世界はかくも広いのだと言うことを。
というわけで、僕のなかでのおっぱい映画、
『バイオハザード2』を昨日の夕方に。
いや、あのね、僕はだいぶまえに普通の『バイオハザード』を観てたわけで、
それがあんまりおもしろくなくって、
見どころはミラ・ジョヴォビッチさんのおっぱいだけだったわけで、
それで昨日はお昼から出かける用事があったんだけれども、
それがなくなったので映画でも観ようとおもい、
観たい映画はいっぱいあれど、まあ、今日はおっぱい映画でも観ようかなと。
1のほうはかなりのおっぱい映画でしたので、
2も予想に違わずおっぱい映画だろうと。
いや、ごめんなさい。普通におもしろいアクション映画でした。
絶対に1よりかはおもしろい。
おっぱいも出てくるけど、なかなかどうして、
それだけじゃありませんでしたよ。
うん。あのね、ただ単におっぱいが出てくるだけの映画が、
おっぱい映画っていうわけじゃなくってね、
「おっぱいしか見るべきものがない映画」をおっぱい映画と僕は呼ぶんですね。
たとえば、アンジェリーナ・ジョリ−さんのおっぱいしか見るべきところがない、
『テイキング・ライヴス』とかね。
おっぱいは出てくるけど、ほかがきちんとしてる映画、
たとえば、ハル・ベリーさんがおっぱい出してる『チョコレート』なんかは、
正直、おっぱいなんかどうでも良いくらい素晴らしい映画ですので、
おっぱい映画とは言わないわけです。
っていうか、僕はええ年して、
こんなおっぱいおっぱい言うててええんでしょうか?
なんで僕は誕生日にこんなにもいっぱい、
おっぱいって言わなあかんのでしょうか?
2月2日から3日
いやぁ、昨日は寒かったですね。ほんと。
どれくらい寒いかというと、朝起きたら真顔で雪降っちゃうくらい。
NHKで寒波情報っていう見たことのない情報が台風情報みたく流れてるくらい。
あまりの寒さにD社のサッカー大会が中止になっちゃうくらい。
あのね、一昨日、僕が夜中の11時半着で、
絶望の都奈良までアホみたいに寒いなか行ったのですはね、
昨日の朝からD社のサッカー大会があったからで、
朝のラッシュで奈良まで行くのがいやでしたので、
直樹君のお家に泊めてもらってたわけなんですね。
で、朝ですよ。窓開けたら死にそうになるわけですよ。
もう、無理。こんなんでサッカーするなんて有り得ない。
たぶん、コートも凍ってる。
でもいちおう、一応はフットサルコートに行ってみよう。
もしかしたらだれか来てるかもしれない。
もしかしたら僕たちは、なにごともなかったかのようにサッカーができるかもしれない。
そんなもんね、だれも来るかと。
いや、コートについて外に出た時点で、
あ。死ぬなと。これはたぶんリアルに死ぬなということで、
早々とコートの予約をキャンセルして、
まあ、だれか来るかもだし集合時間まではまってたんですけれども、
そんなもんね、だれも来るかと。だれか来るかと。
「今日、どうなん?やんの?」
「いや、今日は寒すぎなんで中止です。
もしかして、もう向かってます?」
「いや、今起きたとこ」
っていう電話はいっぱいかかって来るものの、
だれひとりとしてお家から出た人はおらず、
んー。まあ、しゃあないですよね。寒すぎましたもの。
午前中のサッカーの予定がなくなり、
バッカリと時間があいてしまいましたので、
僕たちは自動車で大阪に向かい、
寒いながらもお天気は良く、車内は暖房であたたかだったので、
「なあ、もしかしたらサッカーできたんちゃう?
ほら。いまだってぜんぜん寒くないし」
「おまえな、窓を開けてみろ。
窓を開けてからほんまにできるかどうか考えろ」
---ウィーン---
「ごめん。さっきまでサッカーできるとか思ってた俺が恥ずかしい。
いっそこのまま殺してくれ」
などといいつつも大阪の電気屋さんへ行って、
直樹君はi-pod用の車載キットを、
僕は新しいヘッドフォンを買ったわけで、
まあ、サッカーできなかったわりには良かったなと。
買いたかったものをふたりともきちんと買えて良い1日だったなと。
あー。サッカーしてぇ。
2月1日
このまえ読んだムラカミさんの『国境の南、太陽の西』にひきつづきまして、
まだ僕はムラカミさんの小説は読んだことあれど、
ムラカミさんが翻訳した本を読んだことありませんでしたので、
村上春樹さんが翻訳した、
スコット・フィッツジェラルドさんの『マイ・ロスト・シティ』を。
ムラカミさんはフィッツジェラルドさんのことがたいそうお気に入りらしく、
たしか『ノルウェイの森』あたりでフィッツジェラルドのことを褒めちぎっていましたし、
『グレート・ギャッツビー』を翻訳することが、
死ぬまでの目標だなんてこともどっかで書いていたような気がします。
そんなフィッツジェラルドさん(ムラカミさんが、
「僕のための作家」って呼ぶ)の短編集です。
って言いましてでもですね、
僕はフィッツジェラルドには大した感情を持ち合わせていませんので、
まあ、普通におもしろかったですよ。うん。
とか思って読みおわったあとに、
この本が僕のムラカミさん訳のはじめての本じゃないことに、
僕はやっと気づいたわけです。
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読んでますね。そう言えば。
今日は本当に本当に寒いですね。
たとえば、どういう状態が人の不幸なのか?という問いがあったとして、
こんな寒い日の夜に、
いまから出かけなくちゃならない僕は、
だれがどう見ても不幸、
不幸という言葉が適切でないとすれば、
限りなく不幸に近いよと、僕は答えたいと思います。
絶望の都奈良へ行ってきます。寒いよ。